今夜、資料室で-61-

2時間ほどして、一度マンションへ帰った甲斐がもう一度病院を訪れた。
ちょうど窓際でタバコをふかしていた真島のところへ一直線にやってくる。

そして両手の荷物を足元へ下ろすと、そのまま真島を後ろから抱きしめた。
「・・・待った?」
甘えるように鼻先を真島の耳元へ摺り寄せて、そのまま唇を押し当てる。
背中から伝わる弾む鼓動に 真島の口元がほころんだ。
「・・・いいな、シャワー浴びたんだ」
火を消して、煙たい息を吐き出した。
腰に回された腕に手を載せて、甲斐から漂う清潔なボディーソープの匂いを胸いっぱいに吸い込む。
「・・・もう少し傷がふさがったら、入れてあげよう・・・」
いつもの優しい声が心地良くて、真島は甲斐に体を預けて 静かに目を閉じた。
真島の重みを甲斐が柔らかく受け止める。

「俺、」
「ん・・・?」
目をつむったまま 少しだけ顔を後ろへ向けた真島の頬に 甲斐がふわり頬を寄せる。
まだ少し湿り気の残った髪が触れて、ボディーソープの匂いにシャンプーの匂いが混じった。
「ずっと・・・気分が、良いんだ・・・」
すっぽりと覆う甲斐の体にゆるゆる揺らされて、真島の体は足先まで力が抜けていく。
きれいな微笑みを浮かべながら 背中を摺り寄せる真島に引き寄せられるように、甲斐は真島の頬に唇を押し当てた。
2度3度、しっとり吸い付いて、また頬を寄せる。
「・・・そうか、良かった・・・」
心からそう思ってくれている甲斐の声に、また、しっとりと満たされる。
「・・・ん」

長い夢から覚めて以来 ずっと心の奥が心地よくて、不思議なほど気分が良かった。
心のどこかでいつも感じていた シコリのような塊が消えてしまったようにさえ感じてしまう。
あの症状を引き起こさせる、心の底の悲しい塊。
・・・だから、なぜか

「・・・甲斐さん、・・・」
甲斐の腕を指先でトントン叩く。
「・・・どうした?・・・」
「・・・ちょっと、前 見てて」
先に前を向いた真島を確認した甲斐が、言われたとおりに前を向いて窓の外へ目をやった。
甲斐の動きを気配で感じて、
「・・・その、まま・・・」
静かに目を開けて、真島は直ぐそばにある甲斐の横顔を見上げた。

なぜか、
目覚めて以来、ふと甲斐の顔が見たいと思って、そのまま目を合わせても良いように感じる瞬間がある。
今日のように仲間達の笑顔を見てほっとしたり、こうやって何も考えず甲斐に触れられている時には、さらにその感覚が強くなるようだった。

「・・・気のせいかな・・・」
真島は手を伸ばして、甲斐の目元を指先でなぞった。
その目がこちらへ向けられる事を 自然と望んでいて、知らない方を向いている甲斐の視線を追ってしまう。
その反動のように、何をしていても こちらの視線を上手にかわしてしまう甲斐の慣れた仕草を、たまらなく寂しく感じる。
「・・・気のせいじゃないなら、いいな・・・」
繰り返し目元に触れているうちに、膨れた寂しさが微笑みに混じって、声まで絞らされた。
「・・・もう、いいよ。ごめん」
最後にぴたりと頬に手のひらを沿わせて、真島は視線を下へ戻した。

「・・・どうした・・・?」
どこまでも察しの良い恋人の手が 俯けた頬に寄せられる。
「・・・裕紀・・・」
髪の上に唇を押し当てながら 労わる声で名前を呼ぶ。
「・・・私にも、顔を見せてくれないか・・・?」
そういう声を 聞かされると ますます、その声に応えて 振り向いても良いような気がして・・・、
けれどそんな事ができるはずもない自分に、どうしようもなく 気持ちが沈んでしまう。
小さく首を横に振って、真島はそっと甲斐の腕を解いた。
一番近い窓枠まで歩み寄って全開に開け放つ。
・・・歪んで映る窓越しにさえ、それは叶わない。

本当に欲しいものが 足して引くように手に入れられるのだとしたら・・・ 俺は一体 どこまで捨てたら良いんだ。

「裕紀、」
すぐに背中を覆った甲斐が 真島越しに腕を伸ばして思い切り窓を閉めた。
急な仕草で真島の体を反転させて力任せに抱きしめる。
「・・・二人で一緒にいるのに、一人で そんな・・・ 寂しい顔をして・・・」
寂しく沈んだ真島よりも さらに湿った声で甲斐が囁く。
「・・・ごめん、甲斐さん」
何を考えているかなんて 甲斐にはとっくに知られている。
それしか言いようが無くて、真島は甲斐の胸の中にぽろりとこぼした。
「『待っててね、甲斐さん』 だろう?」
諭すように言いながら、甲斐は何度も真島の背を撫でた。
「・・・裕紀が治したいと思うなら、必ず治る」
「・・・甲斐さん・・・」
静かに言った甲斐のその言葉に、もう随分前に野崎に言われた場面が思い出された。
『治すつもりがあるなら、治るだろ』
そんな踏み込んだ話はずっと避けるようにしていた真島が、何の気なしに野崎に聞いた時。
甲斐に思いを告げられたその夜のことだった。

あの時はただの戯言かと思った言葉も、今なら、少しだけ遠い未来のように感じられる。
・・・いつか、手が届くような気がする。
「・・・待ってて、甲斐さん」
「もちろんだ」
夢のような願いをこめて、変わらず支えてくれる甲斐の背を抱き返した。
「分かったなら、そろそろ 体を拭いてあげよう・・・」
真島の体は甲斐に静かに抱えられて、そのままベッドへ横たえられた。





「そう、だったんだ・・・」
色違いのパジャマを身に着けた甲斐と真島。
いつものように甲斐を背もたれにして、真島は自分が助け出されるまでの話を聞かされていた。
「野崎君にどんな顔をして会えばいいか、本当に焦った。寿命が縮んだな」
「あいつは・・・、別に甲斐さんを責めたりしないって」
小さく笑って肩を揺らす甲斐に真島も笑って返した。
そして、
「・・・梶原に会ったんだよ。全部知られてて、・・・仁科に会えってさ、言われて」
真島も包み隠さず全て甲斐に打ち明けた。
話せば話すほど甲斐の腕に締め付けられて、無言の叱責にグサリグサリ背中を刺されてしまった。
「・・・全く、会長がいなければ、野崎君が捕まったところでどうにもできなかったかもしれない」
気配どおりのお小言に耳からも突き刺される。
「・・・ごめんなさい」
「二度目は絶対に許さない」
素直に謝ってもまだ、真島の性癖を知り尽くしている甲斐の懸念は収まらない。
「・・・次は・・・」
「次?」
心得ていたように、甲斐は瞬時に鋭い声で切り返した。
「・・・甲斐さんも、連れて行くから・・・、俺は大丈夫」
呆れたように大きく息を吐き出す甲斐。
「・・・君は・・・・・・ 本当に、まったく・・・」
そして真島の肩に額を押し付けて、ため息混じりに苦笑した。


「ね、何で・・・、専務なんだろ」
「・・・野崎君にも休めと言われたじゃないか、しばらく仕事の事は───」
「体は十分 休んでるからいいって。頭まで休んだら俺死んじゃう」
腰に回された甲斐の腕を真島がふるふる揺らす。
脳が覚醒している真島には、何を言っても届かない。
諦め半分で甲斐が真島に付き合うのも、いつものこと。

「別に専務だけが処分の対象な訳ではないだろう。実際には、いくつか下の役職の人間にも懲罰がある」
「だったら全部終わってから辞任の方が、専務も気が晴れるんじゃないの?」
「一旦は区切りを付けたいんだろう。それに、予定外のこんな問題が起きたんだ。収めるにはそれ相応の対応も必要だ。専務が自ら言い出したのだし、少し早まっても支障はないさ」
「それだけ、なわけ・・・?」
釈然としない反応をして、真島は甲斐に頭を摺り寄せた。
「・・・まだ気になる?」
ぐるぐる思案を続ける真島の髪を甲斐の手が梳いていく。
その優しい指の感触に、真島は目を閉じて身をゆだねた。
「だったら何で、何で聡示は・・・、専務なんだろ・・・」
「それは・・・」
声が小さくなった真島の横顔を覗きこんだ甲斐の顔に、優しい笑みが浮かぶ。
「何で・・・会長は・・・、聡示に・・・・・・全部、任せたんだよ・・・」
言葉が覚束なくなってきた真島の体を抱いたまま、甲斐は体をよこたえた。
「・・・全部・・・、自分で・・・やれ、ば・・・」
「裕紀、枕・・・」
頭を上げた真島の首元へ甲斐はそっと腕を差し込んだ。
深い眠りに誘われた真島の体を後ろから覆って、甲斐も静かに目を閉じた。


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