今夜、資料室で-58-

緑の香りを含んだ新鮮な風に体の上を柔らかく撫でられる。
澄んだ空気が肺を満たして やがて体中を巡りながら次々と細胞を呼び起こしていく。

心地の良い幸せな夢は 波が引くように ゆるやかに遠ざかって、優しい感触だけを残して終わりを迎えた。
瞼に感じる光に誘われて、ゆっくりと、目を開ける───。


「れ、・・・」
大きな窓と大きな白いベッド。
真島は何度か目元を手で擦って部屋の隅々まで見渡した。

「・・・ッツぅ」
少しだけ体を起こそうとした瞬間 背中に走った鈍い痛みが、失われていた時間の継ぎ目を隙間無く埋めていく。
─── そうか、ここか・・・。
気を失ったあの場に野崎が居て、その後そのまま運ばれたのだとしたらここしかない。

真島は起こした体をもう一度横たえて夢の余韻をかみ締めた。
背中の傷こそ痛むけれど、気持ちの奥はしっとりと満たされて心地が良かった。
脳の中まで澄み渡る久しぶりの良質な睡眠。
「気持ちいい、な」
ゆっくりと両腕を頭のうえまで伸ばして、強張った体をほぐすように大きく大きく、背伸びをする。
指の先から足の爪の先まで隈なく五感を呼び起こすようにしながら、真島は体の状態を確認していった。
気を失った瞬間と違わない事を注意深く確かめてから、そのまま枕の先にあるスイッチを探り出してボタンを押した。


数分としないうちに 予想通りの慌しい駆け足の音が近づいてきて、真島の口元には笑みが浮かぶ。
「真島君っ・・・!」
大きくドアを開いて入り口で一旦立ち止まった織田が慌ててベッドまで駆け寄ってくる。
そのまま飛び掛るほどの勢いで真上から見下ろされた。
「・・・久しぶり」
目を閉じたまま大きく背伸びをした格好で、真島は笑い交じりで織田に応えた。
「久しぶりじゃないわよ、 ほんっとに!心配したんだから、ったく」
織田は大げさなくらいに全身を使ってため息を吐き出した。
そして手元の丸椅子をベッド脇まで引き寄せると、バタバタと腰掛けた。
「あんまり怒んないで。今すごい気持ち良いいから」
織田の心配など気にも留めず、真島はきれいな笑顔を浮かべてゆったり微笑む。
「人の気も知らないで のん気なモンね。ほらっ、手、貸しなさいよっ」
のろのろと真島が差し出した腕をぐいと引っ張りあげた織田は 慎重に脈を確認した。

「ちょっと、私の顔くらい見れるでしょ」
「あんまり怒ると眉間にシワ増えるよ」
苛立ち紛れに言う織田に小さく笑って、真島はゆっくりと瞼を開いた。
「視界は?霞むとか、狭いとか、光が強すぎるとか、ない?」
下瞼を押し下げながら 瞳の様子を注意深く覗き込んで確認する織田に、真島も今度はまじめに答えた。
「平気」
しばらくじっと真島の顔色を確認したあと、ようやく織田は落ち着いて椅子へ腰掛けた。
「迷惑掛けたね オバちゃん」
「オダ、よ」
「色々ごめん、織田ちゃん」
「患者なんだから、ごめんも何も無いでしょ」

そうして じっと目を合わせた二人は、久しぶりの望まない再会に苦笑した。
薬の処方以外で真島が最後に病院を訪れたのは、もう何年も前のこと。

「野崎君から連絡があって、もうびっくりしたんだから」
突然あんな状態で運ばれてきて、織田は大きなショックを受けたに違いなかった。
10年 主治医として真島を診ている織田の言葉は、決して大げさなものではない。
「・・・ホント、ごめんね」
だから織田には素直にそんな事も言える。

気を失っていた時の様子が真島には容易に想像できた。
野崎がいち早く病院へ連絡して織田に状況を伝えて、池上が倒れた体を抱えて運んで・・・

「・・・ね、彼に連絡してもいいわよね・・・?」
真っ直ぐ真島に向き直った織田が静かに言った。
『彼』 の意味は 『甲斐』 で 『彼氏』。
織田の目は二人の関係を承知していた。

野崎と池上と一緒に甲斐も付き添って来て、きっと織田とも言葉を交わしている。

曖昧に笑って、真島は少し視線を下げた。
「・・・聡示?」
「陽平君も、そう言ってた」
「・・・そっか。・・・・・・織田ちゃん 驚いた?」
10年ぶりに連れていたのは、誰より強い症状を出させる年上の男の恋人。
恋愛から一番遠いところにいた真島を 誰よりよく知る織田の目が、そういう関係にある甲斐と自分をどう見ているのか、真島は戯れでなく知りたいと思った。
「驚いたわよ。・・・・・・もう、ぴったりで」
「え・・・?」
顔を上げた真島と視線を合わせて、織田は心からの笑みを湛えて頷いた。
「やったじゃない。・・・彼しか、いないと思う」
優しい眼差しで言いながら真島の胸の辺りに目配せする。
促されるままに下げた視線の先、着せられていたのは 甲斐の自宅でいつも使っていた甲斐と色違いのパジャマだった。
首元から足の先までさっぱりとした着心地なのは、きっと甲斐が、体を清めてくれたから。
何となく襟元を手で撫でる。

「連絡するわよ?」
織田がポケットから携帯を取り出した。
「・・・今何時?」
「お昼過ぎたとこ」
「あぁ・・・、・・・仕事終わってからにして。6時」
甲斐の1日は、他の同僚の1日でもある。
昼過ぎと言えばやっと自分の仕事が始められる頃。
「仕事中だっていいじゃない」
「そんな訳いかないって。あの人の仕事は会社の───」
「バイトだろうが社長だろうが、彼氏じゃないの」
「無理言うなよ、今から連絡したらあの人仕事───」
・・・それを全部放ってでも、やって来るに決まってる。
「早退、半休、大いに結構」
「ちょっと、止めろって、後で良いよ」
ボタンを押そうとする織田の手を真島は慌てて引き止めた。

呆れたようにため息をついて、織田が真島の方へ身を乗り出す。
「なに格好つけてんのよ、バカね。・・・甲斐さんの気持ち、分かってるくせに・・・」
そしてツンツンと真島の胸の辺りを指で突いた。
真島に手を取られたまま身をかがめて、じっと真島の顔を覗き込む。
「・・・・・・甲斐さんしか、いないでしょ?」
「織田ちゃん・・・」
最後に微笑みを乗せた織田を、真島は真っ直ぐに見上げた。
「甲斐さんにだけは 全部 見せてあげなさいよ。死ぬほど心配させてあげなさい。
 いくら10年恋愛してなかったからって、そんなのも分からないんじゃ、甲斐さん余りにも気の毒よ」
「・・・そこまで言わなくていいじゃん」
「良いわね?」
勢い込む織田に、真島は渋々頷いた。
「・・・あ、でも無理は絶対に───」
言いかけた真島をよそに、織田は勝手に甲斐と話を始める。
『あ、織田です、実は真島君が・・・そうんなんです!もう甲斐さんに逢いたいって、さっきからそればっか───』
「ちょ、待てよっ」
「あらっ、・・・・・・切れちゃった」
「・・・」
「甲斐さんったら、実はすごく熱い男だったのね」
「・・・いつか殺す」
「でも逢いたかったでしょ?」
尖った真島の視線をさらりと流して、織田はクスクス笑って携帯をしまった。
そして間を置くように 大きい呼吸を何度か繰り返す。

「甲斐さんは、その辺に転がってる男とは 違うわ」
まるで説いて聞かせるように、声に力を込めて言った。
そして何度も頷いて腰を上げる。
「巻き込んであげたらいいのよ。・・・甲斐さんは、待ってくれる」
一度だけ真島と顔を合わせて、織田は静かに部屋を横切っていった。
「あ、呼ばれるまでは誰も来ないから」
「・・・もうどっか行って」
入り口でニヤリと振り返った織田に真島は面倒臭そうに言い返した。
「嬉しくて泣いちゃうかもね」
跳ねるような足取りで去っていく織田の後姿をため息交じりに見送った。


誰が泣くかよ。


真島は脇の引き出しを開けてタバコを取り出した。
半分だけ空いていた窓を全開にすると、いっせいに生暖かい風が吹き付けてくる。
「さすがに暑いな・・・」
深緑の林を望むその場所は、懐かしい資料室からの眺めを思い出させた。
風をよけて火を点けて、深く肺の奥まで満たしていいく。
目を閉じて、久しぶりの香りを楽しんで、ゆっくり大きく息を吐き出した。

幸せな夢の余韻はまだ続いていた。
仲間達の笑顔に囲まれた穏やかな時間。
真島は静かに目を閉じたまま 思い出せるだけ思い出していった。
現実の世界では、もう二度と味わえないかもしれない。

そうやって何度も繰り返し思い返しているうちに、廊下を大きな足音が駆けてきて
真島はサッとタバコの火を消した。

遠慮を知らない足音は入り口で慌しく立ち止まって、大きくドアが開かれる。
「裕、紀っ・・」
肩を揺らして息を切らしながら、その勢いのままやってくる。
「ごめん・・・、まだ、怒んないで・・・」
いち早く甲斐の動きを封じるように真島は小さく声を掛けた。
言われたとおりに隣でぴたりと止まって、甲斐は痛いほど切ない視線で真島を覆う。
外の風よりも温かい空気が甲斐の方から吹き寄せた。

長い長い夢の中で、心を痛める人はいなかった。
それは 自分勝手な願望が見せた夢だったから。
誰より傷ついて心を痛めてくれた人が、いる。
だったらもう少しだけ、柔らかい夢の続きを、一緒に───。

「・・・抱きしめるのは、良いだろう・・・?」
心地の良い夢の中で何度も優しく名前を呼んだその声は、今は乞うように囁き掛けてくる。
本当はそうやって、何度も声を掠れさせていた。
夢の中で何度も髪を梳いた手が、救いを求めるように伸ばされる。
本当はそうやって・・・、ずっと心を痛めながら待ってくれていた。

視界の端で揺れた甲斐の指に 真島はそっと指を絡ませた。
大きな手のひらいっぱいに力が込められて、そのまま真島を引き寄せる。

「裕紀っ・・」
長い腕をこれ以上ないほど絡み付けて甲斐は真島の体をくるむように抱きしめた。
締め付ける腕の強さが痛いくらいまで達して、真島は静かに目を閉じる。
「本当に、良かった・・・っ」
夢の中で 時折 瞼に感じていた優しい唇の感触が 何度も首筋に触れては吸い上げる。
柔らかく触れた唇を伝って、温かい雫がこぼれていった。


・・・泣いてくれるのは、甲斐さんなんだよ。


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