今夜、資料室で-53-

甲斐の視線を、体中に感じる。

───信じられなかった。

視界の悪い靄(もや)の中で 甲斐の声に名前を呼ばれた気がして、
この期に及んで、まだ 『可能性』 なんかを探そうとしている胸の中を 思い切り笑ってやろうと思って、
ヤケで目を開けた。

みっともない未練が とうとう幻まで見せたのかと、思った。

「裕紀・・・っ」

2度目の声がその姿と共に鮮明に脳まで届いた瞬間、懸命に押さえつけていた物たちが中からどっと溢れて、
思わず顔を逸らして息を飲み込んだ。

本当に 甲斐だった。

目が合わせられなくても痛いほどに感じてしまう。
仁王立ちで、必死の形相で、拳を握って今にも飛び掛る勢いで仁科を睨み付けながら、
その端々で、息の詰まるようなやるせない視線で胸の奥まで貫いてくる。
甲斐の気持ちを分かっていながら こんな事をやってしまった自分の事を、甲斐は全身で責めている。

「裕紀っ・・・」
駆け寄ろうとするその姿に、髪の毛一本まで愛された記憶が次から次へと呼び覚まされた。
遣り過ごせたはずの仁科への嫌悪感が、居てもたっても居られないほど不快な物に変わっていく。


「この場所まで調べるとは、穂波も大したものだ。一体私に何の用だ?」
「裕紀を放せ!!」
思わず甲斐が足を進めそうになったところへ仁科のナイフがグッと強く押し当てられた。
「っ・・・」
眉を寄せた真島の喉元でキラリと光が反射する。
呪い倒す勢いで仁科を睨み付けながら、甲斐は拳を握って立ち止まった。
「気でも狂ったか。商談はもう終わっている」
余裕の態度で突き放して、仁科はニヤリと口角を吊り上げた。
「キスの相性は、良いようだ・・・」
真島の顔を引き寄せて、これ見よがしに頬に舌を這わせる。
ゆっくりと下まで降りた仁科の唇が、真島の顎先をピチャリと食んだ。
「やめろっ・・・!」
悲鳴のような甲斐の声は部屋じゅうの壁を震わせて、そして目を見張ったままバッタリとその場に膝を着いた。

「止めろっ!裕紀にっ、裕紀に手を出すなっ!」
赤らんだ拳を闇雲に畳にぶつけながら、甲斐は腹を折って声を搾り出す。
必死な甲斐の姿は真島の心を掻き毟った。
恋人の心を裏切った深い罪の意識に打ちのめされて、真島はその痛みから逃れるように小さく身を縮めた。
「声を上げるな、人が来る。私の裕紀が怖がっているじゃないか」
腰に巻きつけられた仁科の腕に力がこもる。
嫌悪感は更に増して、真島は下を向いたまま唇をかみ締めた。

もう、これ以上は無理だと思った。
仁科と一緒に居る自分の姿をこれ以上甲斐には見せられない。
甲斐が傷ついてしまう事は 最初から分かっていた。
けれど、痛みに耐えて苦しむその姿を見ている覚悟なんて、何も出来ていない。
部屋を出て鍵を返して別れの言葉を告げた、その何倍もの痛みに体中が割かれていく。

こんな時でも心はぴたりと甲斐に同調して、高らかに共鳴する。
今も自分の事を責め続けているその視線が、『愛している』と言っている気がしてならなかった。
体が 胸が軋んで ───、もう・・・ 息をしているので、精一杯 ───。

恋人のこんな姿は、もう見ていられない。

真島は縮めた体に残された気力を振り絞って懇願した。
「・・・帰って、ください・・・」

もう、耐えられない。

「裕紀っ!」
甲斐が悲しみで顔を歪めて、拳を畳に打ち付けた。
ドスンと響いたその振動さえも、甲斐の叫びに聞こえてしまう。
『愛している』、と───。

「裕紀・・・っ」
その声は一番奥まで達して真島の内側から責め立てた。
地上の苦しみを全て背負わされたような痛みと一緒に、底知れない真っ直ぐな愛情の温かさに包まれる。
もう五感も何もかもぐちゃぐちゃで、真島は髪を掻き毟って頭を抱えた。
「・・・頼むから、・・・もう、帰ってくれ・・・っ!」

こんな苦しみは、もう俺だけで十分だ。
もう俺は、一人でっ───、

「違うだろう、裕紀っ!」
一際大きな声で言った甲斐が、また拳を畳に打ち付けた。
大きな悲しみと怒りが混じりあった甲斐の声が 真島の体を爪の先までふるわせる。
「それは、違うっ!」
甲斐は何度も何度も拳を打ち付けた。
無情な真島の言葉を砕き落とすように拳を振りかざして、そして熱い視線で一直線に真島を貫いた。

「君は、一人じゃないだろうっ!!!」
その瞬間、まるで天啓が下ったかのように、甲斐の言葉が真島の頭上から足の先まで突き抜けた。
ハッと目を見開いた真島の体が独りでに甲斐の方へ吸い寄せられる。

甲斐へ向かって 今にも真島が手を伸ばそうとしたところへ、突然 見知らぬ男が入ってきた。
いかにも屈強そうな体つきをして、片手に木刀を携えている。

「遅いじゃないか」
浮き上がった腰も仁科に引き戻されてしまう。
仁科の声を掛けられた3人組が、甲斐の両脇で腕を拘束した。
「っ・・・ぐ」
押さえつけるように頭を畳に押し付けられて、甲斐からくぐもった声が漏れた。
「・・・何・・・、するんだ・・・」
真島は咄嗟に仁科を振り返った。
涼しい顔をしたままの仁科は、驚く程に色の無い表情をしていた。
何も言わずにやり取りを見ていた仁科を今更ながらに恐ろしく感じてしまう。
「恋だの愛だのは、終わりだ」
仁科に目配せをされた二人が、甲斐の体を縄で巻いていく。
「何・・・」
後ろ手にした状態で甲斐はあっという間に縄で拘束された。
そのまま肩を押さえつけられて、顔が畳に擦り付けられる。
「何、するんだ・・・その人は、関係ない・・・っ」
今にも立ち上がろうとした真島の腰を、仁科は力任せに引き戻した。
「何をしに来たのか忘れたのか?」
表情を変えずに言った仁科の顔が更に恐ろしく不気味に揺れた。

「何度も言うが取り引きは終わった。直ぐに帰るというならそのまま帰してやる」
高圧的な態度で甲斐を見下ろして忌々しげに吐き捨てる。
仁科の言葉を合図にするように、甲斐の脇に立った男達が両手で木刀を構えて持った。

「何、するんだ・・・」
目の前で起こっている事が信じられなくて、真島の声は弱々しく震えて消えた。
「帰るのか、どうなんだ?」
顔色ひとつ変えない仁科に焦った真島は、仁科のシャツの胸倉を両手で掴んだ。
「やめろ・・・っ、俺は条件を呑んだ・・・っ」
鼓動がドクドク暴れ始めて、体中から嫌な汗がどっと噴き出した。
「だが甲斐は、納得していない」
サラリと真島の言葉を流して仁科は甲斐に視線を合わせる。
「彼の意思を尊重してやれ。それで全員が救われる」
落ち着き払った仁科の態度、おそらく仁科はその先を躊躇わない。

真島は絶望的な思いで甲斐の方を振り返った。

こんな状況に陥っていても、それでも甲斐は 絶対に、
「裕紀は私が、連れて帰る」
折れてくれるはずがなかった。

「止めてくれ、っ・・・あの人はっ・・・っ!」
真島は縋るように仁科のシャツを握り締めた。
こんなことをしていたら、また10年前と同じ事を繰り返してしまう。

今度はただの友人じゃない。
今度は───、

「あの人だけはっ・・・、あの人は、駄目だっっ・・・!」
ふるえてしまう声へ必死に力をこめて搾り出した。

これで最後にすると誓った、甲斐は人生最後の恋人───。
この甲斐を あの時のように傷付けてしまったら、もう二度と この人生に光は差さない。

「どうなんだ?」
胸倉をガシガシ真島に荒らされながら、それでも仁科は顔色を変えずに甲斐を見据える。
「やめろっ、あの人は、っっ・・・!!」
甲斐の あの真っ直ぐな情熱は、きっと仁科相手でも屈しない。
けれどそれは、甲斐の破滅を呼んでしまう。
真島は乱暴に仁科の胸元を叩きつけて、そしてその腕を仁科は倍の力で強く拘束した。
ぴたりと目を合わせてくる仁科───。
その作為的な光に、真島は思わず息を呑んだ。
甲斐が折れない事を分かっていて、その上でこんな仕打ちをやって見せている。
「俺は条件を呑んだっ、俺が良いって、言ってるだろっ!!」
「違うだろう、裕紀っっっ!!!」
真島の必死な訴えは、甲斐によって全て掻き消されてしまう。
互いの想いが互いの足を引っ張り合って、すべては仁科の思うままに進んでいく。

「どうなんだ?」
今までに無く力強い声で仁科が言った。
これで最後、そう真島は確信した。
「もう・・・っ、もうやめてくれ・・・っ!!」
必死に真島が訴えた望みは───、甲斐の前では無意味に潰えてしまう。

「裕紀は・・・、絶対に連れて帰る」

脇に立った男達がさっと木刀を握り直す。
仁科から見えない合図が発せられた。


その瞬間、真島の目の前は10年前と同じ様相に早代わりした。

蒸し返る夏の午後、人気の無い講堂の裏側。
面白がって囃し立てる学生に囲まれた友人と先輩。
騒ぎを聞きつけてやってきた真島は、他の外野に両側から腕を取られて拘束された。

殴りあう二人を止めようと必死に声を張り上げた声は、奇妙な歓声に掻き消されて、
目の前の二人はどんどん傷を深めていった。
二人は交互に拳を振り上げて、同じように 互いの顔から血飛沫が飛ぶ。
顔色が変わって、足元が覚束なくなって、倒れこんだ片側の上に、尚も乗り上げて拳を上げた。

狂ったように歓声を上げる野次馬に囲まれて、どれだけ声を上げても届かない。
何度も体を捩って腕を振り回して、それでも体は押さえつけられたまま、
ただ弱っていく二人を絶望的な思いで見ているしかなかった。

もういい加減に真島が声を搾り出せなくなった頃には、殴り合っていた片側は動きもしなくなっていた。
ようやく異変に気がついた取り巻きの学生達は、助けを呼ぶ事も無く、恐れの余りに逃げ始める。
真島が意識を失って倒れるのと、親友の二人が駆けつけてくれたのは、ほぼ同時だった。

10年間苦しみ続けているあの時の痛みには、もう耐えられない。
「や、めろっ・・・!」
強烈なフラッシュバックに陥って、真島は息を引きつらせた。
夏の午後の暑さまでもが蘇る。
「その人だけは・・・っ、駄目だっっ!!」
この甲斐をあの時と同じように傷つける事だけは、絶対に、絶対に許さない。

血を流す友人が甲斐に重なって、真島はカッと目を見開いた。
今度は、助けに来てくれる親友はいない───!

一瞬の出来事だった。
甲斐の脇の男達が木刀を振り上げた瞬間、真島は死に物狂いで仁科の体を突き飛ばした。
2歩、3歩の距離を渾身の力で駆け寄って、折れた甲斐の体の上へ滑り込んだ。
両手をめいっぱい伸ばして甲斐の体を覆う。

「裕紀っっ!!!!」
「ぐぅ、・・・っ!」
強烈な痛みが首から背中に走って、真島は声をかみ殺した。
突然の真島の動きに驚いた男達が力任せに2度3度と腕を振り下ろす。
背中のあちこちで鈍い音がした。
歯を食いしばって耐えるうちに、スッと血の気が引いていく。
首の後ろ側から生暖かい感触が流れていった。
「裕紀っ!!」
だらりと下ろされた真島の腕を見て、甲斐が雄叫びのような声を張り上げた。

さすがに驚いた仁科が立ち上がったと同時に、甲斐の後ろの障子が大きく開かれる。

「止めんかっ!」
時田と他数名を連れた野崎が、やっとの思いで到着した瞬間だった。


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Comments

拍手コメくださったmさま
コメありがとうございます、冬実でございます。
>今日は、拍手の一番乗り!!ができて嬉しいです。
おおお、ありがとうございます!こんな不規則更新サイト(←自分で言ってしまった)で一番乗りは色んな意味ですごいです^^
> コメントさせていただくのは初めてですが、作家様の「大ファン」です。これからも、更新心待ちにさせていただきます。
身に余るお言葉をありがとうございます。共感して頂ける方との出会いがあるのは嬉しい限りです。世界中の方と出会うチャンスがあるなんで、webってなんてすごいんでしょう。また是非お越しくださいませ☆次話にてお待ちしております。
Posted at 2010.07.06 (00:31) by 冬実 (URL) | [編集]
拍手コメくださったaさま
コメありがとうございます、冬実でございます。
>はじめまして!明け方から何度も、訪問してました。最高です!
はじめまして!貴重な睡眠時間、お体大丈夫ですか?!何度も訪問して頂いて、こんな時間になってごめんなさいでした(土下座)
>真島大好き!野崎も格好いいし!楽しみにしています。
わたくしも真島大好き野崎大好きです!(←親バカ)でも、お話を気に入って頂ける方が増えるのは、もっと嬉しいです☆どうかお体も、ご自愛くださいませ(滝汗)
次話にて、またお待ちしております
Posted at 2010.07.06 (00:37) by 冬実 (URL) | [編集]
拍手コメくださったmさま
コメありがとうございます、冬実でございます。
>真島さんにとって甲斐さんは、命の躍動そのものなのですね。
深く深く読み砕いて頂いてありがとうございます。こうやってコメント頂くと、また作者の甘え癖が出て筆が乱暴になっちゃったりしないか心配です(>へ<)。
>こんな卑劣な方法で引き裂かれようとしていることに、もう耐えられないと思いました(T_T)
真島君はあまり本心を明かさない人ですが、甲斐さんの事を手放しで受け入れている事実は認めてます。なので、仰るように引き合い惹かれあう、みたいな感じなのだと思います。
>遠い記憶の心の傷が、
↑このあたりが、今後の展開で・・・^^
確かなことは、真島君も甲斐さんもお互いを好きだという事です。大丈夫、大丈夫ですよ(笑)
いつも温かいコメントありがとうございます。またごゆるりとお越しくださいませ。
Posted at 2010.07.06 (00:59) by 冬実 (URL) | [編集]
訂正を・・・。(陳謝)
(”デジャヴ”は ”フラッシュバック” の表現の方が正しいですね、、、。訂正をしました。コメ下さった方の方がよくお解かりでした・・・(滝汗))
Posted at 2010.10.08 (23:56) by 冬実 (URL) | [編集]
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