今夜、資料室で-52-

時田が部屋の手配を済ませ、野崎が池上へ連絡をする。
それは甲斐と池上が料亭前へ着いたのとほぼ同時だった。

「伺っております。どうぞ、こちらへ」
しっとりとした仕草で現れた女中に奥まで通された二人は、風情のある佇まいに言葉を忘れて立ち尽くした。
物珍しさにあちらこちらへ視線を泳がせて、けれどそれも一瞬で終わる。

「・・・向こうだ」
二人の視線は、すぐに襖続きの奥の部屋へ貫き通された。
「あぁ」
甲斐の鼓動が途端に早鳴りを始めた。
息が、苦しくなる。
逸る気持ちを落ち着けようと、甲斐はそっと襖に手を添えた。

「裕紀・・・」
呼ぶつもりは 無かった。
ただ襖の奥を見ていたら、そこに居るはずの恋人の姿を 脳が独りでに投影してしまっていた。
それが余りにも鮮明で、愛しいその姿を呼び止めずには居られなかった。
もうどこへも行くな、と・・・。
「裕紀・・・」
けれど、呼んでしまうと たまらなくなって、今度は自ら声を出した。
一人苦しみを抱えている恋人まで声が届いて、腕の中に取り戻せるのではないかと期待して。

一途に想うそのままの姿は、あまりに健気で痛々しい。
「・・・甲斐さん」
池上の手が肩に乗せられた。
「聡示が着くまでだ」
そうして精一杯の慰めを言う。
大切な親友を一刻も早く助けたいという切実な思いで、池上もまた、甲斐と同じように心の奥で格闘している。
腹の底から沸き上がるものを 押さえつける力んだ声で、懸命に労わるように告げられた。

「だが、」
視線は真っ直ぐに隣の部屋を貫いたままで、甲斐は拳を握り締めた。

野崎は誰かを連れてくると言った。
それが叶うなら、真島を助け出せるかもしれないと、言っていた。
「しかし・・・」
けれど、確実に助け出せるとは、言わなかった───。
野崎を待って、それでも話がこじれたら、結局は真島を助け出せないかもしれない。

甲斐の体温が急速に上昇する。


「・・・待っていて、それで、どうなるんだ・・・」
甲斐は独り言のようにつぶやいた。
こんな所までやって来て、取り引きをしたいわけじゃない

「もう少しで着くって、だからそれまでの辛抱なんだ」
「一体・・・誰の為の、辛抱だ・・・?」
冷静に席について、交渉して、何かの金額でも決めて、サインを交わして・・・?
そんな事をしに来た訳じゃない。

だったら 真島はどうなる?
「・・・それで裕紀は、どうなるんだ?」
「甲斐さん・・・」
仁科を抑えられる確証も無いその 『誰か』 をここで、ずっと待ち続けて、それで真島の身に何かが起こって、
そうしたら、自分は一体 どうなる?

すぐ目の前にいる真島を守れなかった自分をどうやって罰したらいい?
何もせずに、ただ指をくわえて待っていた自分を、どのくらい憎んだらいい・・・?
ただの時間稼ぎで終わってしまって、そしたらその時、真島はどうなる?

すべて一人で負って身を落としてしまった真島に報える日など、絶対に 来ない。


「・・・すまない」
甲斐は池上の脇を通り抜けた。
迷わず入り口の障子に手をかける。
「おい、甲斐さんっ!」
すかさず池上が甲斐の腕をめいっぱい引き戻した。
極力小さく絞った声で、甲斐を精一杯に威嚇する。

どれほど真島が美しく魅力的でも、真島は決して取り引きの道具じゃない。

「裕紀は、私の、恋人だ」
「甲斐、さん・・・」

【俺もう甲斐さんいないと無理なのに、さ・・・】
一番奥まで心を開いてくれたあの日の真島の声が、キラキラと輝きを放ってよみがえる。
傍に居てくれと、真島は自分の口で言ってくれた。好きだから 一緒に居るのだと。
自分でなければ駄目なのだと・・・、言ってくれた。
もう、野崎は必要無い。

電話先で苦しそうに涙を流していたのは、他の誰かの ためじゃない。

【ここまでひどい我がままは、もう何年ぶりだ】
こんなにも屈辱的な仕打ちに耐えてでも、それでも真島が守ろうとしているのは───

【だから甲斐さんが、ちゃんと傍にいてよ・・・】
恋人が待っているのは、野崎なんかじゃない。

「待てるわけが、ないだろうっ!!!!」
「甲斐さんっ!」
引き戻される腕を無理やりに引っ張って、甲斐は部屋の外へ出た。
数歩先の部屋の前まで駆け出して、障子を力まかせに開け放つ。
「裕紀っ!!!!」
甲斐は怒りにも叫びにも似た声を張り上げた。
そうして部屋の中へ隅々目をやった甲斐の顔が みるみるうちに歪んでいく。

「っ!!!」
脱ぎ捨てられた二人分の上着とネクタイ。

シャツの前を肌蹴た男が真島の上に乗り上げて、首元への口付けに没頭していた。
うっとりと、恍惚の表情で。
無抵抗な真島のシャツは半分開かれて、その艶やかで美しい肌が男の前にみだりに晒されてしまっている。
自分にしか許されていないはずの恋人の肌。
男の手は、今にも真島の上を這い回ろうとしていた。

こんな事になっているのが分かっていて、真島一人にこんな思いをさせておいて、
待っていられるはずが無かった───。

虚ろな視線でさまよっていた真島の目は、数秒もせずに これ以上無いくらいに見開かれていく。
「甲斐・・・さ、ん・・・」
ひどく頼りない声が、途切れ途切れに甲斐の名前を呼んだ。
そしてすぐに視線は逸らされて、微かに見える横顔だけがその驚愕と苦しみの大きさを伝えた。
「裕紀・・・っ!」
貴い神獣のようにさえ感じていたあの真島が、心無い仁科の手によって好き放題にされている。
まるで焼印を押しつけられているような痛みに、胸の芯まで一気に貫かれた。
「甲斐、か」
仁科が体を起こして甲斐を睨み付ける。
そして真島をすばやく腕の中に抱え上げて、傍の上着を手繰り寄せた。
「裕紀っ・・・!」
たまらず甲斐は踏み出した───


「止まれっ!」

しかし仁科の一声が甲斐の足をぴたりと止めさせる。
手繰り寄せた上着の中から取り出したアーミーナイフ。
光る刃先は真島の喉元へと向けられた。

「障子を閉めろ」
真っ直ぐに甲斐を射抜いていく仁科の視線。
甲斐も正面から受け止める。

「閉めろと言ってるんだ」
仁王立ちのままの甲斐へ吐き捨てて、仁科はニヤリと口角を上げた。
そうして甲斐と目を合わせたまま真島の耳元まで口を寄せていく。
「ッ・・・!」
見せ付けるように舌を出して、真島の耳朶を舐め上げた。
「このままそこで見てるのか?・・・それもいいな」
舌先をゆっくりと下まで滑らせて、今度は首筋へ吸い付いていく。
真島の顔が悲しく歪む。
「やめろっっ!!!」
甲斐は慌てて障子を閉めた。
ぶつかった反動で開いてしまったのを、もう一度閉め直す。

「ここまで熱血漢だったとはな。やるじゃないか」
クスクスと肩を揺らして、仁科は真島の耳元へキスをした。
「やめろと言ってるんだっ!!!」
甲斐が足を進めたと同時に、仁科の持つナイフの刃先が真島の喉に当てられた。
「卑怯な、・・・っ」
甲斐は血がにじむほどに両手の拳を握り締めた。
真島に傷を負わせるわけにはいかない。

「・・・夜は長い、そう焦るな」
仁科はナイフをポケットへしまった。
そして今度は携帯を取り出す。
『私だ。外の見張りはもういい。今すぐ部屋へ来てくれ』
短い会話を終わらせて、素早く携帯をナイフへ持ち替える。


「いい機会だ。恋だの愛だの、そんな物は今すぐこの場で捨ててもらおう」
余裕のある柔らかい口調とは裏腹に、仁科の視線は甲斐を焼き尽くすほどに滾らされていた。

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Comments

こんばんわ

最近は更新が多くて嬉しいです
真島さん、捕らわれてからが気になってました

甲斐さん、制止を振り切り隣の部屋へ
見張りまで集まってきて…(((゜д゜;)))あわあわ
会長と野崎さん、どうにかして(>_<;)

甲斐さんと真島さんが、見つめ合える日を楽しみにしてます

野崎さんと上総くんの、まったり喫茶店でのやりとりも好きです
Posted at 2010.07.04 (20:18) by 松岡渚 (URL) | [編集]
Re: 松岡渚さま
こんばんわ、始めまして 冬実でございます。
コメありがとうございます!
> 最近は更新が多くて嬉しいです
> 真島さん、捕らわれてからが気になってました
ええ、何ともノロマ更新で申し訳ない限りでございます。
真島も中途半端なままで放っておりました…(滝汗)

> 会長と野崎さん、どうにかして(>_<;)
>
> 甲斐さんと真島さんが、見つめ合える日を楽しみにしてます
>
もうちょい、です。本当に(笑)
それまで今しばらくお付き合い頂けると嬉しいです^^

> 野崎さんと上総くんの、まったり喫茶店でのやりとりも好きです
お、ありがとうございます!こちらのカプは年齢高めですが、糖度多めでがんばりますよ★
コメありがとうございました、またお越しくださいませ^^
Posted at 2010.07.05 (01:28) by 冬実 (URL) | [編集]
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