君と夜空と真夏の花火-7-

第6話

木々に覆われた静かな古道は、奥のほうから少しずつ、夜の顔を覗かせていた。

「しばらくすると、上総は本をしまって店を出て行った。僕は上総が店を出るまでずっと見ていた。長い時間、上総を見ていたような気がする。とても良い気分になって、その日は会社へ戻る事にしたんだ」

思い返すように空を見上げて、野崎はふうっと長い息を吐き出した。
そうして視線を元へ戻して、少し 口ごもる。


「上総も知ってるとおり、僕は、」

ゆっくり上総を振り返ると 野崎は何度か瞬きをして、声のボリュームを抑えて言った。

「女性でも男性でも・・・、愛せる・・・」

その言葉の内側が誤って伝わるのを恐れるように、野崎はとても慎重に言葉を進めた。
何かを伝えようとしてくれている野崎を信じて、上総は静かに頷いて待った。

「こんな役にも就かなくてはいけなかったし、絶対に、結論を急いではいけないと思った。
誰かにどう見られるとか、そういう事ではなくて、僕のことを理解してくれる人でないと、難しいから」

一人の自立した大人の顔をして話す野崎を見て、上総はこれまでの日々を思い返した。

野崎の気持ちを受け入れて、自分の気持ちを認めた日。
他方の業界まで巻き込んだ、会社の大がかりな不正を 野崎が自ら公表した日。

この恋を始めた時ばかりの頃は、いつも不安に負けそうだった。

「仕事に疲れて嫌気がしていたところへ、たまたま可愛い子を見つけて、
ただ良い気分になって浮かれているだけなんだとしたら・・・、直ぐに忘れてしまった方がいい。
それが僕の為でもある」

ずっと年上で、会社の重役で・・・、自分と同じ男性の野崎。

野崎の恋人であるために、強くなって、変わりながら、守りながら。
そうやって乗り越えた時間の積み重ねがあるから、今やっとその不安は減ってきた。
それは、野崎を信じて、素直に向き合って、野崎の全てを受け入れられるように、なったから。

野崎が言うように、この恋は いつも 簡単じゃなかった。

「次の日にはまたシンガポールへ戻らないといけなくて、その日はそれで、終わったんだ・・・」

静かに波が引くように、野崎はそこで話を終えた。
そのまま じっと空を見て、深い呼吸を繰り返す。

なぜだか遠くに野崎を感じて、妙に胸がざわついた。
その深い懐の奥へは、重ねた手のひらだけでは、触れられそうに無い。

「そろそろ戻ろう。部屋に戻ったら、花火があがる」
穏やかに微笑んで振り返った野崎に、上総も小さく頷いた。

ほんとうは・・・
聡示さんが 本当に言いたかったことは───。





繊細な技巧を尽くした、見事な懐石の膳を挟んで、野崎と上総は旬の限りを味わった。
どれも魅力的な彩りで満たされていて とても心躍らされたけれど、それでも 食べきれないほどの鉢の数に 箸がだんだん重たくなる。

「もういっぱい?」
「・・・はぃ」
見かねた野崎が助け舟をだしてくれて、上総は苦笑して箸を置いた。
「実は僕も」
もう十分、そんな顔をして野崎も苦笑してくれる。
そして野崎はふっと外へ目を遣った。

「時間もちょうどいいから、風にあたってちょっと休憩しよう」
静かに席を立った野崎に手招きされて、上総も腰を上げて駆け寄った。

部屋から続く濡れ縁に設えられた、真新しいヒノキの長椅子。
野崎に手を取られて、二人は肩を並べて座った。
清流から巻き上がる冷たい空気が、蒸し暑い夏の空気を押し流していく。
「涼しい・・・」
気持ちよくて 隣を見上げると、野崎も頷いて微笑み返してくれる。
そしてさっきと同じように、野崎は上総の手を腿の上に重ね合わせた。

涼しい風に乗ってきた、ヒグラシの鳴き声がこだまする。

「・・・日本を離れれば、忘れるんじゃないかと思っていた」
優しい野崎の声は、ヒグラシにも負けそうだった。
西の空がすっかり寂しくなって、野崎の横顔も目を凝らさないとうまく見れない。

「あんな風になるなんて思っていなかったから、本当に、僕は・・・」
独り言みたいで、少しだけ頼りなくて、野崎の声は上手く聞き取れなかった。
「ぇ・・?」
急かしてしまうのが躊躇われて、上総は遠慮がちに野崎のほうへ顔を寄せた。


「あちらへ着いた途端、たまらない気持ちに、なった・・・」
「っ・・・」
切ない声で言った野崎が振り返って、上総は思わずハッと息を呑んだ。
まるで救いを求めるように潤む瞳に、心の底が掻きむしられてしまいそうになる。

「・・・どうしてどこの誰かくらい突き止めておかなかったのか、とても後悔した」
頼りなく細められる眼差しに 胸がきゅうきゅう締め付けられて、上総の鼓動は暴れだした。

今ここにいるのは、上総に出会う前の、一人心を焦がしていた頃の野崎。

「毎日、毎日思い出した・・・。仕事をしていても、家に一人でいても、どこで何をしている時でも。
あの頃の僕には、あの日見た上総の姿が、上総だけが・・・、全てだった」

心の内側を搾り出すように、訴えかけるように、野崎は目を逸らさずに言い募った。
上総の心はすぐに野崎でいっぱいになって、深い息をするのも辛くなる。
腿に乗せられていた手が引き上げられて、上総の手は野崎の胸の上で重ねられた。

どうしようもなく胸の奥の方が苦しくて、上総は空いた手でシャツの胸の辺りを握り締めた。

ヒューーーーーッ!

「上総・・・」
掠れた声が耳まで届いて上総の視界はぶわっと歪んだ。
重ね合わされた手のひらから、 怖いほどドクドクと打ち付ける野崎の鼓動が伝わるみたいで、
野崎を深く苛んでいた痛みの場所を知らされる。

バーーーーンッ!

瞬間───、
大きな光の花が咲いて、東の空いっぱいにキラキラ輝いた。
誇らしげに見事に咲いた4尺玉の打ち上げ花火。
けれど二人の視界には少しも入ってはいなかった。

「・・・後悔した。もう上総に会う事しか考えられなかった。あの笑顔を見たくて、次はもう僕だけのために笑って欲しかった。絶対に上総を見つけて、僕に、気づいてほしかったんだ・・・」

切ない顔をして向き合ったまま、二人は一度も視線を外すことはなかった。

暗がりで探れない互いの瞳を 時折広がる光の中で 見つめ合って、
沸々と込み上げる狂おしさを、互いの胸の内へ 飲み込みんでいた。


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