今夜、資料室で-43-

甲斐との決定的な別れに 思う存分涙を流したことで、真島の脳はすっかり冷静さを取り戻した。
やって来た時の緊張は微塵も感じなくなって、今は挑発的な仕草も表情も思いのまま。
何を言ったところで、もう全て割り切るしかないのだ。

そんな真島の変化を知ってか知らずか、仁科の体温は急上昇していた。
夜の気配が近づいて、二人を取り巻く空気が少しずつ様子を変えていく。

顔の輪郭を確かめるように撫で上げては撫で下ろす仁科の指は、
気持ちの萎える悪寒をいくつも生み出しながら 真島の覇気を着実に削ぎ落としていた。
その度に眉間に薄く皺を作って、真島はその気色悪い感触を何度もやり過ごす。

救いたい、ただそれだけだった。

いつか野崎が導いてくれるはずのこの会社も、不正経理に手を染めてしまった人間達も、
成す術無くただ従うことでしか生き延びられなかった、全ての業者の人間達も。

きれいごとだけでは循環しないこの世の中で、それでも、せめて自分の目に映る範囲の
愛しい仲間達の幸せくらい、自分達の手で実らせたかったのだ。

「でもまぁ・・・、惚れてるとか惚れてないとか、今更そんな事は問題ではないですが」
真島は太く短く煙を吐き出して、少しなげやりな仕草で灰を落とした。

けれど 何をどう足掻いても、もう全ては 『今更』 の話・・・。
ただ、唯一の救いは、例えあんな形でも、甲斐に 別れの言葉を告げることができたことだった。


「俺は、取り引きに来たんですから・・・」
今すぐは無理でもいい。
もし 許しを乞うことさえも許されないのなら、仁科が言うとおり全て忘れてくれてもいい。
ただ、こんな選択をした自分の行いをいつか理解してもらう日を待つための権利を、
その免罪符を手に入れるために、この苦しみは必要だった。

「応じなければ、いけないんでしょうね」
この先 自分がどれほど醜く穢れても、人に後ろ指を指されるような立場になったとしても、
その記憶が変わらず輝いて残ってくれているのなら、一人になっても歩いていける。

甲斐は もう 、一生分愛してくれた。
あの短い時間の中で、 一生分の糧を 与えてくれた・・・。
・・・なんて上等な、愛なんだ。

「・・・どうであれ、俺に決定権はない。あなたの好きなようにしたらいい」
真島は仁科に向き直った。
じっと見つめられる目を逸らすことなく受け止める。

真島は目を合わせたままゆっくりとタバコを口元へ運んで、やがて静かに煙を吐き出した。

『惚れた』 なんて、よくも簡単に言ってくれる。
・・・これが甲斐なら、10秒ともたない。

甲斐の人柄そのままの 穏やかな眼差しの奥を確かめたくて、そこに写る自分の姿を見つけたくて
何とか目を凝らした次の瞬間には もう意識を失ってしまう。
見つめ合って 喉が枯れるまで愛を語り合うなんて、そんな事は夢のまた夢。

こんな病気さえ無かったら、状況はもっと ・・・違ったのかもしれない。


襟元へ差し込まれた仁科の指を、真島は目を閉じて受け入れた。
その指は、まるで捕獲した獲物の首元を狙い定めるように一周して、首元のボタンを探り当てる。

「随分なげやりな言い方だ・・・」
仁科は真島に身を寄せて、その耳元へ生暖かい息を吹きかけた。
極上の獲物を前に舌なめずりをする捕食者のように 目元をギラつかせて、器用にボタンを外していく。

「だが、それもいい」
仁科は空いた左腕を真島の腰に巻きつけて、互いの体を寄せ合うように密着させた。
スーツの奥で滾る体温が 脈打つ胸板を通して 真島へ向かって送り込まれる。
その右手は勝者が君臨するように、悠然と真島のネクタイに掛けられた。

「確かに始まり方など気にしない。しかし私は・・・君を、『恋人』にしたいと 言ったんだ・・・」
真島の喉元を砦のように守っていた結び目は はらはらと流れ落ちて、
ボタンの解かれた合わせ目から、形のいい鎖骨がちらりと姿を現す。
それを目敏く見つけた仁科はふっと目を細めた。

真島の耳殻に唇を押し付けて、仁科は殊更に声を潜めて囁きかける。
「惚れてもらわなくては、意味がない。・・・そうだな、前後不覚になるほどに・・・」
首元で遊ばせていた右手で優しく真島のタバコを取り上げて、仁科は静かに灯を消した。
麗しい真島への賛美のため息を吐きながら、その耳朶に口付ける
わざとらしく立てられた水音に、真島は思わず顔を背けた。

「甲斐の比ではないくらい・・・、 1つ残らず、その心をもらおうか」
襟元を緩めた真島の首筋に顔を近づけて、仁科は容赦なく歯を立てた。
チリリとした痛みに襲われた次の瞬間 今度は生ぬるい弾力にねっとりとねぶられる。
そのおぞましい感触に体中に鳥肌が立って、真島は息を殺して必死に絶えた。
体を拘束する腕も無遠慮に寄せられた顔も何もかも、殴り飛ばしたい衝動を寸でで抑えて
拳を固めて握り締める。

無抵抗に されるがまま受け入れる真島に 吐息で微笑んで、仁科は襟元から右手を忍ばせた。
まるで真島の強張りを溶こうとするかのように、指先で柔らかく鎖骨をなぞる。
「・・・どうしたら、手に入る・・・?」
その声で真島の全身を撫でながら、仁科は真島の首元へ唇を押し当てた。



◆=◆



血相を変えた3人は 息も絶え絶えに甲斐の部屋へ飛び込んだ。
ドアを開けて待っていた甲斐が、辺りの様子を確認してから慌てて鍵を掛ける。
「やっぱり まだ帰って無かったんだっっ・・・!」
開口一番 水元が叫び声をあげて、皆の危惧は瞬時に1つにまとまった。
穂波とマリちゃんの目元には、もう既に涙がこんもり湛えられている。
「あの時っ・・・ あの時私が、真島さんを呼び止めておかなかったから、ッ」
「穂波さん、違うわ、違うわよっ」
とうとう両手で顔を覆って身を屈めた穂波に、マリちゃんがすかさず寄り添った。
「どうしたんだ、何を見た?」
穂波を労わる余裕すら失っている甲斐は、3人へ向かって溢れる焦りをぶちまけた。
張り上げられた太い声に穂波は更に体を竦めた。
「真島さんが梶原と話しているところを、穂波さんが見たんです」
水元は慌てて甲斐の正面に回って穂波を背中で押し退けた。
「声までは、聞いて無いそうですっ、ただ真島さんは・・・っ」
そして一旦 ぎゅっと口をつぐんで、背中を丸めてうな垂れる。
「ずっと険しい顔をして・・・、それで すごくっ・・・苦しそう、だった って・・・」
水元までが声を震わせて、甲斐も思わず目を閉じた。
やはり真島は苦しんでいた。
そんなにも前から、ずっと一人で。
頼ってはもらえなかった力無さをいっそう悔やんで、甲斐は奥歯をかみ締めた。

でも今は、悲しみに暮れている暇などない。

「それで、真島君の行き先は?何か、心当たりは無いのかっ?」
甲斐は祈る思いで皆を見渡した。
真島へ繋がる僅かな可能性を探そうと、3人へ代わる代わる視線を送った。

もう何ヶ月も追っていたあの梶原と終に接触を持ってしまった。
それがどういう意味を持っているのか その場に居合わせた全員には痛いほど良く分かる。
何とかしたい、それは皆同じなのだ。
それなのに誰一人として良い反応ができなくて、4人は一様に沈痛な面持ちをして俯いた。

自分達がやっていた事は、最後には全て筒抜けになっていた。
その負いを全て真島が被ってしまったら、一体どんな制裁を受けてしまうのか。
得体の知れない闇の存在は、その不気味さを更に極めた。

「声は・・・、聞こえなかったので・・・」
それでも穂波はなんとか顔を上げて、目を赤くして弱々しく返答した。
甲斐と目の合った水元も 心底申し訳なさそうに首を横に振る。
それぞれが顔を見合わせて、それでも策は出てこない。

「何か・・・ 、・・・何でも、良いんだ・・・」
霞んでしまいそうな真島の面影を甲斐は懸命に繋ぎとめた。
「・・・何か ・・・無いだろうか・・・」
沸騰していた甲斐の焦りは、やがて 『絶望』という名の暗い渦へと姿を変えようとしていた。

「真島ちゃん・・・、野崎さんの見送りって、言ってたのに・・・」

「そうだ、そうですよっっ!!」
ふいにマリちゃんが零した言葉に水元が飛び跳ねて反応した。

「甲斐さん、野崎さんですっ!!野崎さんと、連絡を取れませんかっっ?」
両手で甲斐に掴みかかって水元はバサバサと遠慮なしに揺さぶった。
「え、」
考えもつかなかった唐突な申し出に 甲斐は言葉が出なかった。
「真島さん、会社で野崎さんに会ってるんです!タバコ吸って来るって言ってっ」
水元は記憶をたどる様な表情を見せながら、必死に甲斐に訴え掛けた。
「もし野崎さんに何か話をしてたらっ・・・!何か知ってるかもしれないっ!!」
その勢いに呆気に取られた3人を見渡しながら、水元は更に飛び跳ねながら声を上げた。
「見送りに行くなんて言ってたくらいですからまだ間に合うかもッ・・・!」
必死に訴えかける水元につられて、他の面々も顔を見合わせる。
「でも野崎さんの連絡先なんて・・・、分かりますか?」
「それは・・・」
穂波の冷静な問いかけに、それまで勢いのあった水元は大人しくなってしまった。
真島ならともかく、あの野崎と親しい付き合いをしている者は一人もいない。
「個人携帯の番号なんて・・・ 事情が話せないのに教えてもらえるかしら・・・」
それをどこからか聞き出すとなると、色々と面倒なことになる。

すると水元がカッと目を見開いた。
「甲斐さんが居るじゃないですか!甲斐さんだったら、教えてもらえますよ」
人望№1の名を欲しいままにしている甲斐なら・・・、もしかしてそれも可能かもしれない。
その場の全員がその僅かな可能性にたどり着く。
「そんなに簡単に行くかしら・・・」
「だったらどうするんですか!他に何ができるんですかっ・・・!」
弱気な事をつぶやいたマリちゃんに、水元が声を張り上げて叱咤した。

「・・・そうだな、やってみよう」
甲斐は心を決めて頷いた。
水元のいうとおり。
この場に残された4人に 他に一体何が出来るのか?
こうやっている間にも 真島は一人で耐えているというのに。

「私たちは、やらなければいけない」
ポケットから携帯を取り出して、甲斐は目当ての番号を呼び出した。

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Posted at 2010.03.31 (03:25) by () | [編集]
Re: 真島さんクールですね~(らぶ
コメありがとうございます、冬実でございます。
>クールです。『攻め』ならわかるんだけど真島さん『受け』ですからね~。
やはり真島にはクールビューティーであって欲しいと言いますか(笑)その反面すごく男っぽくて、そこは他の登場人物に比べても突出しているくらいだと思います。美人さんですが、柳のようにしな垂れ掛かる風情ではなく、ピリッと芯の通った人であって欲しいなと。
>のスーツを!ネクタイを!鎖骨を!…仁科さんありがとう。いい仕事してます!
なぜなんでしょう。真島のピンチではありますが、仁科への応援メッセージもかなり頂いています。これはなかなか面白い反響で、『仁科さんが大事に優しくしてくれるならOK』的なコメがちらほらと・・・(苦笑)。まずいですね、甲斐さん圧され気味です!
>それでは、また
いつも励ましコメありがとうございます。ノロマ更新中ですが、かならずお話書き上げますからね。
Posted at 2010.03.31 (20:48) by 冬実 (URL) | [編集]
拍手コメくださった皆様
匿名貴女様
 随分長い間待って頂いていますので、そろそろナイト・甲斐さんに登場してもらわないといけない頃合ですよね(滝汗) いよいよクライマックスへ向かって突き進んで行けそうですので、今しばらくお付き合いくださいませ。
Posted at 2010.04.02 (23:26) by 冬実 (URL) | [編集]
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