今夜、資料室で-41-

「裕紀っ」
甲斐は思わずソファーから腰を上げて、携帯を両手で強く握り直した。

「何があった 裕紀、無事なのかっ?!裕紀、返事を、返事をしてくれっ・・・!」
不安と焦りで混乱しっぱなしの状態で、甲斐は矢継ぎ早に声をかけた。
そして体中の全神経を 携帯のむこうへ集中させる。
「返事をっ・・・、裕紀っ!」
ひとたび外へ出てしまえば、否応なしに好奇の的にされてしまう。
そんな恋人の身を案じれば案じるほど 悪い事ばかりが頭に浮かんでしまって、少しも生きた心地がしない。
真島が自分の元を去ってしまったかもしれないという 危惧よりも何よりも先に、
とにかく無事で居てくれる事を 確かめずには居られない。

「裕紀っ・・・ 何とか、何とか言ってくれっ、裕紀っ・・・!」
朝には確かにこの両腕の中にいて、その耳元へ淡い睦言をいくつも届けて・・・。
いつも そうするように、この先ずっと変わらぬ愛を誓って、その手を取って二人で家を出た。
飽きることなく 愛の言葉を 繰り返し囁く甲斐に、真島は決まって呆れた顔をする。
それでも真島は、甲斐が自ら腕をほどくまでずっと、 大人しく 体を預けて 静かに瞼を閉じているのだ。
「どうしたんだ!声をっ・・・、頼むから、裕紀っ・・・!!」
二人の間の事で何か思うことがあるのなら、包み隠さず全て話してくれたらいいだけのこと。
もしまた厄介な問題を一人で抱え込んでしまっているのなら、これまでのように全力で力を貸して支えるまで。
とにかく無事でさえいてくれるなら、真島の中に湧き起こっている何かの間違いもきっと解決して、
また二人で手を取り合う生活に必ず戻してみせる。
そう、甲斐は思っていた。
甲斐にとって、8年間ただひっそりと真島を想い続けていた時間に勝る苦しみなどありはしない。
真島がいない一人の生活には、もう二度と戻れないのだから。

・・・それなのに。

『色々と、ご心配をお掛けしました。申し訳ありません・・・』

やっと届いた恋人の声は、残酷なほどに無機質で単調で、甲斐の想いとはひどくかけ離れたものだった。
二人を覆う奇妙な空気は大きな亀裂を産んで、二人の距離を更に遠く隔ててしまったように感じられた。

「・・・裕、紀?」
『何の連絡もしていませんでしたが・・・無事、ですから』

真島へ向かって流れ続ける恋情を受け止めてグラグラと熱を湛えている甲斐の携帯とは 正反対の、
「どう・・・したんだ、裕紀・・・」
それは、まるで・・・
『こちらは、問題ありませんから。・・・本当に』
傍に居ることさえ拒まれ続けていた あの頃の真島のようで、
冷めて乾いた 真島の声音が、携帯から指先を伝って 甲斐の体温を奪っていった。
僅かに感じる恋人の気配は、みるみるうちに霞んでしまう。

「なぜ・・・、こんな事に・・・。 裕紀、何があった・・・?」
『・・・心配は要りません。とにかく・・・俺は大丈夫です」

届けようとする言葉は1つも受け止められることなく全て真島を通り抜けて、ただただ空気を震わせているだけ。
二人の会話は、もはや雨粒を掴むほどの手ごたえさえも感じられなかった。

「・・・ なぜ、なんだっ・・・」
やがて甲斐は眉間にぐっと深い皺を刻んでドザリとソファーに倒れ込んだ。
そうして、そのまま頭を抱えてしまう。

(どうすれば・・・)
真島の傍で真島の事ばかりを見ていた甲斐は、気がついてしまったのだ。

「裕紀・・・ッ」
頼りなくなってしまった電話の向こうへ乞うように、甲斐は恋人の名前を紡ぎ出した。
真島の異変・・・ というよりも、真島自身が何かの決意を秘めて、自ら甲斐のことを拒んでいる。
その事実が更に甲斐を追い詰めた。
「どうして、君は」
真島がこういう態度を取って一歩も譲らない時は、何か大きな問題が起こったからに他ならない。
こうなってしまったら、たとえ相手が甲斐であっても、電話だけの短い会話でその心を溶き解すのは
容易ではないのだ。
万が一それが周りの人間の為であるなら・・・、 尚のこと。
己の信念に突き動かされている今は 生半可なことでは揺るがない事も、嫌と言うほど分かってしまう。

「・・・話してくれないか、裕紀っ、せめて、せめて今何処に居るのかだけでもっ・・・」
それでも、ここで真島を諦めてしまう事など絶対にできない。
「頼むからっ、裕紀っ・・・!」
何とか真島を引き留めたくて、甲斐は言葉をかけ続けた。

『いえ・・・、こちらは無事ですから。心配は、要りませんから・・・』
けれど、無駄を全て削ぎ取った真島の声は、もはや体温さえも消え去って、何一つとして通わせられない。
二人だけの時に見せてくれた 恋人の無防備な姿が脳裏をよぎって、甲斐はたまらず目を閉じた。

「どうして、君は・・・」
どうして・・・
こんな選択肢しか選び取ってくれなかったのか。
助けてほしいと、最後まで一緒に乗り越えてくれと・・・ なぜ、言ってはくれなかったのか。
息の詰まるような苦しさの合間に、隠しきれない寂しさが沸き起こった。

まだ、伝えきれていなかったのだろうか。
そんな初心な問いかけを、甲斐は真剣に自分の中で繰り返した。

例えこの身が枯れ果てても 文字通り二人が共に灰になるまで、
変わらずに 真島を支え愛し続ける覚悟でいるというのに・・・。
偽り無いその想いを 毎日毎朝 誓い続けていたのに・・・、まだ・・・。
まだ、その心には届いてはいなかったのだろうか。

「君は・・・一人じゃないはずだろう・・・?」
遣り切れない思いと共に、甲斐は深いため息を吐き出した。





その瞬間、無意識のうちに甲斐の名を呼びそうになった真島はハッとして
空気と一緒に声をゴクリと飲み込んだ。

どんな時にでも、遠く離れているこの時でさえ、甲斐はその声だけで真島に寄り添ってくる。
その声が嬉しくて切なくて、真島は何度も深い呼吸を繰り返しながら、揺らぐ気持ちを落ち着けた。

先が見えず人知れず途方に暮れている時、体も心も疲れ果てて動く気力さえ無くしかけている時。
声を掛けようとする ほんの少し前に、甲斐はそっと隣に現れる。
真島が欲しがっている ただ一つの答えに迷わず辿り着けるように、四方から手を伸べて支えてくれるのだ。
そして今この瞬間も、甲斐は真島を助けようと必死になって考えを巡らせている。
心を砕いてくれている その姿が目に浮かんで、閉じた瞼の奥の方がズキズキ熱を持った。

甲斐の気持ちを痛いほどに感じながら、真島は精一杯に平静を装って声を出した。
「大丈夫、ですから・・・」
それでも、全て受け渡してしまった真島の心は、電話の向こうの声に知らずに反応してしまう。
10年もの間 他の人間との接触を拒み続けていた真島に、
鬱陶しいほどに世話を焼かれながら 愛されて生きる喜びをもたらした、世界でただ一人、甲斐の元へ。


「生憎 長電話は好きじゃない。手短に頼む」
深々と頭を垂らしている真島に向かって、仁科はさらりと声を掛けた。
棘のある声に胸の奥まで突き刺される。

「大事な用があって・・・、今日は 帰れません」
「『今日は』は、違うんじゃないのか?」
切り刻まれるような痛みに耐えながら搾り出した真島の声は
仁科の心無い言葉によって 無残にかき消された。

「それじゃ夜遊びして回る子供と同じだ。親に了解を取る為に電話でもしてるつもりなのか?」
疲れた風に空を見ながら、仁科は面倒臭そうに吐き捨てた。
そうしてゆっくりとした動作で、真島の頬に手を添える。
僅かに嫌がって顔を背けようとした真島の顔を力づくて引き戻して
仁科は正面から真島と視線を絡め合わせた。

「私が甲斐に許しを得る必要などないだろう?私は・・・そんなに甘くはないぞ」
電話の向こうに感じる 甲斐への思いも息苦しさも 全て飲み込んで、
真島は大きく深呼吸した。
「俺は・・・」
射るような仁科の視線に体の奥まで舐られながら、それでも必死で言葉を探っていく。
昨日までの自分と、完全に決別をするための言葉。

「・・・俺は、戻りません」
『裕紀・・・っ』
声を震わせた甲斐の様子に、真島の心も悲鳴を上げた。
それでも何とか息を吸い込んで、次の言葉を用意する。
「そこへは・・・、もう戻らないんです・・・」
『っ・・・裕紀・・・、どうして君はっ・・・そうやって・・・』
途端に目頭がカッと滾って、真島の視界は揺らぎ始めた。


「まだだ」
視線をいっそう鋭くさせて、仁科は真島の顔を上げさせた。
痛みも憤りも全て飲み込んで耐える真島を見据えながら、それでもその手を緩めることはない。
「・・・俺は、あなたとは、居られない・・・」
『裕、紀ッ・・・』

ツっと熱いものが頬を伝って、仁科の指先を濡らしていった。

「・・・二度と、連絡は・・・しないでください・・・ッ」
それでも真島は拳を握り締めて、掠れる声に力をこめた。
視線の先の人間に 誓約の言葉を捧げるように。

「これきり、です・・・」
柔らかく温められていた甲斐との未来は閉ざされて、真島は凍えてしまいそうな闇の中へ突き落とされた。
自ら発した、言葉と共に。

そして、手探りでボタンを見つけて通話を終わらせようとした瞬間・・・
『君は・・・そうやって、また一人で・・・・・・』
どこまでも寄り添おうとする甲斐の声音に、真島はたまらず両の瞼を閉じた。

真島を世界の中心に据えて生きている甲斐の言葉は切なくて、
このまま呼吸が止まってくれたら・・・ と、真島はギュっと唇をかみ締めた。

『・・・君は・・・苦しいんじゃ、ないのか・・・?』
もうこれ以上は甲斐の声を聞いていられなくなって、短い息を吐き出すのと同時に真島は通話を終わらせた。

甲斐へは声が届かなくなった事を確認すると、真島はとうとう嗚咽を漏らした。
握り締めた拳の上にも、いくつもいくつも雫が落ちる。


「・・・辛いのか?」
指先をしとどに濡らされながら 仁科は真島に声を掛けた。
にごりの無い温かい涙の感触で、隠し切れない甲斐への嫉妬に火が点る。

「・・・私が、憎いか?」
何も言わず肩を震わせて 深く目を閉じている真島の頬を、仁科は そっと拭い続けた。

「気が済むまで、憎めばいい・・・」
苦渋に満ちて歪められている時でさえ、仁科は真島の美しさに見惚れていた。
たった一人の恋人に 心の底まで捧げる様子を見せ付けられて、真島の魅力がいっそう増して感じるほどに。

「いつもいつも憎み倒しているうちに・・私以外の人間の事など、思いつきもしなくなる」
ただ、それが自分でない事が 仁科には許せないのだ。
真島の全てを、手に入れたかった。

「それで、いい・・・」
しんと静まり返った二人の空間に、自責の念で切り刻まれた真島の嗚咽が漏れ続けていた。


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Comments

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Posted at 2009.12.15 (16:11) by () | [編集]
Re: うるうるきてしまいました(涙)
コメントありがとうございます!冬実でございます。
はじめまして、では無かったですね^^ 丁寧な拍手コメも頂きまして 本当にありがとうございます。

真島君はまだ 『一人でいる強さ』で乗り切ろうとしていて、心の中と現実との歯車が上手く噛み合っていない様子です。そのくせ甲斐さんの事は100%受け入れてしまっている所為で、苦しさばっかり増えている感じに。

いつもは大人な二人も恋をすればただの人(苦笑)。
そんな二人の恋路を、辛抱強く応援して頂けると嬉しいです^^

また、ゆるりとお越しくださいませ~。
Posted at 2009.12.15 (23:09) by 冬実 (URL) | [編集]
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Posted at 2010.03.02 (00:02) by () | [編集]
Re: うわぁ~きついなぁ(苦
コメありがとうございます、冬実でございます。
キツイ、仁科キツイですね。私としては「飴とムチを使い分ける男」が理想なのですが、もう少し計算高い感じが出せた方が良い気がしてます。野崎は何してるんでしょうか?!(笑)
Posted at 2010.03.22 (02:14) by 冬実 (URL) | [編集]
拍手コメくださった皆様
l様
 お話気に入ってくださって、ありがとうございます。ただ今牛歩更新中ではございますが、必ず書き上げるつもりです。少しでもご期待に添えるよう、がんばります。コメありがとうございました!
ma様
 再開とはいっても・・・ 近況はゴタゴタしていてなかなか時間が取れないのですが、お話は必ず最後まで書き上げるつもりです。いつも更新チェックありがとうございます。コメありがとうございました!
j様
 Thak you for your clap!
Posted at 2010.03.22 (03:00) by 冬実 (URL) | [編集]
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