今夜、資料室で-35-

「やはりそのネクタイは今日限りにしよう」
「似合ってるんじゃないの?俺は気に入ってる」
「裕紀、頼むから・・・、」
そんな会話を繰り返しながら、二人が揃って会社のロビーへ足を踏み入れた時だった。

「真島ちゃん!」
両手を振って飛び上がりながら、奥からマリちゃんが大声で真島を呼びつけた。

またか・・・っ!
同じ光景に何度か居合わせていた二人は、ぐっと目を眇めてほぼ同時に駆け出した。

待っていたマリちゃんをすぐに追い抜いて、通いなれた廊下を奥へ向かって突き進む。
やがて大きな扉に行き当たって、甲斐がIDカードでドアを開き、さらに一番奥の目当ての扉へ向かって二人が走り出したところで、今度は後から走って来たマリちゃんが二人を呼び止めた。
「そっちじゃないのよっ!」
「「え?」」
突然 勢いを止められた真島と甲斐は前に倒れこみそうになりながら、揃って間抜けな声を出した。
もう目の前まで扉が迫っていた二人が振り返ると、マリちゃんが後ろの方で手招きをしていた。


「朝きたら、引き出しが開いてて」
マリちゃんの隣に真島が先に走り着いた。
「鍵は?」
「このとおり、無事だったの」
「奥の部屋は?」
甲斐もすぐに走り着いた。
「鍵が掛かってました」
今朝マリちゃんが出勤したとき。
奥の部屋の鍵をしまってある引き出しが、何者かによって開けられていたのだ。
そして。
「それにしても・・・」
鍵と一緒に保存しておいた4人分の退職願が、無くなっていた。

「もしかして、真島さんのファンが欲しがった、とか」
開け放たれた引き出しを覗いていた3人に、ようやく出勤して来た水元が加わった。
「だったら何で全員分なんだよ」
それに、ここに退職願が保管されている事など、当事者以外は知らないはず。
「あんなのどうするのかしら・・・」
「・・・今頃 4人分とも受理されてたりして・・・」
水元が何気なく言った一言に、甲斐がサラリと答えた。
「出来なくはない。ここにいる全員が、結局は同じ部署に所属していることになる」

・・・そう、だろうか。
真島は視線を引き出しに向けたまま、隣の甲斐に声を掛けた。
「甲斐さん、穂波ちゃん呼んでくれないか」
「穂波?」
分からない、といった様子で甲斐が首をかしげた。
「・・・ん、頼む」
それ以上は何も言わず、真島は黙って引き出しの中に視線を落とした。
「・・・分かった」
短い返事と共に頷いて、甲斐は手近の電話で内線を呼び出した。

隣で電話先の穂波とやり取りする甲斐の声を聞きながら、真島は考えを巡らせていた。
犯人は鍵を開けられたのに、なぜ閉めて行かなかったのか。
これでは引き出しを荒らした事を告げるようなもの。
退職願よりも 余程価値のある奥の部屋の鍵を 持っていくこともせずに・・・。

「甲斐さん、穂波ちゃん来たら奥に連れて来てくれ」
真島は引き出しの中から鍵を取り出して、奥の部屋を目指した。
その後をマリちゃんと水元が追う。
「真島さん何するんですか?」
「開けるんだよ」
「まさか、中が荒らされてると思ってるの?」
3人は早足で慌しく会話をしながら、やがて奥の部屋の扉の前に着いた。
「中というより・・・」
真島はフッと一息ついて、扉の脇のセキュリティシステムにカードを通した。
ピッ、という短い電子音に続けて、ガチャ っと開錠される音がする。
「・・・開くのか」
気のせい、か・・・。

開いた扉からマリちゃんと水元が争うように中へ入って、辺りの無事を確認した。
「中は・・・・・・無事みたい、ね。だけど、どうしてなのかしら」
「僕らの退職願に、持って帰るような価値なんで無いですからね・・。あ、甲斐さんは別かもしれませんけど」
・・・甲斐?
真島の脳裏に、ふとあることが閃いた。

「真島さんっ!」
3人が扉の前で突っ立っていた所へ、甲斐と穂波が連れ立って駆け寄って来た。
「穂波ちゃん、朝からごめんね」
「いえ、一体どうしたんですか?」
少しだけ息を弾ませた穂波は、心配そうに扉の奥へ目を向けた。
「中は無事なんだけどさ。ちょっとここ開けてみて欲しいんだ。穂波ちゃんのカードで」
「えっ・・でも私のは・・・」
穂波は首から提げたIDカードを渋い表情で見つめた。
「真島ちゃん?」
「どういうことだ?」
マリちゃんと甲斐と水元が、一斉に訝しげな視線を真島へ向ける。
「試しだから」
真島はもう一度扉を閉めて、穂波に場所を譲った。
「無理、だと思うんですけど・・・」
穂波は複雑な表情をさせて、自分のIDカードを脇のセキュリティシステムにくぐらせた。

ピッ・・・、ガチャッ・・・

「えっ・・・開いた・・・?!」
思わず声が上ずって、目を丸くさせたままカードを凝視している穂波の脇から、真島は手を伸ばしてドアノブを回した。
「開いた、な」
「だって、穂波さんのカード使えないんじゃなかったんですかっ?!」
水元は穂波と真島を交互に見ながら、目を瞬かせた。
「真島ちゃん、もしかして知ってたの・・・?」
思わず声を潜めたマリちゃんに、真島は軽く首を振った。
「知ってたわけじゃないけど・・・。次、甲斐さん試してみて欲しい」
「私が?」
先程と同じように扉を閉めて、真島は甲斐に場所を譲った。
「・・・開かないかもしれない」
真島のその言葉に、その場の全員が息を呑んだ。
「私が開けられて甲斐さんが開かないって・・・、どういうことですか?」
「そうですよ、真島さん」
「どういう事かは、やってみれば分かるさ」
真島の意図を測りかねて、面々は顔を見合わせた。
「分かった。やってみよう」
甲斐は内ポケットからIDカードを取り出して、穂波と全く同じように認証の手順を踏んだ。

ピーッピーッピーッ・・・
長めの電子音が何度か鳴ったあと、小さな液晶にErrorの文字。

「まさか・・・開かないの?」
マリちゃんが遠慮がちに声を掛けて、真島はゆっくりとドアノブを回した。
「・・・開かないな」
反応しないドアノブを見た水元は、みるみるうちに険しい表情になって真島に詰め寄った。
「真島さんっ・・・、もしかしてっ」
「・・・とりあえず、部屋に戻ろう」
静かに告げた真島に、一行は重い足取りで続いて その場から引き揚げた。


全員でソファーへ腰掛けて、最初に口を開いたのは穂波だった。
「元はと言えば、私があんな事をしたから・・・」
小さい体をさらに小さく縮めて、青い顔をして俯いている。
「これは穂波ちゃんだけの問題じゃない。誰の所為でもないさ」
真島はポケットからタバコを取り出して、1本咥えた。
「でも、甲斐さんのが使えないっていう事は、例の件に関わってる事を知られたっていう事ですよね?甲斐さんが関わっている事が分かってるなら、ここに居る全員の事だって・・・」
水元は険しい表情をしたまま、真島をじっと見つめた。
「全てお見通し、なのか・・・」
手の中のカードを見ながら甲斐がぽつりと呟いた。

甲斐のカードが使えなくなったのは、甲斐が例の件に関わっている事が知られたから。
穂波のカードが使えるようになったのは、穂波の疑いが晴れたから。
しかし・・・
「そうとは限らない」
真島はタバコに火を点けて、短く煙を吐き出した。

「甲斐さんが手を貸すようになった経緯をちゃんと把握してるなら、穂波ちゃんのカードは戻さない方がいい。現に穂波ちゃんは今でも俺たちのパイプ役をやってるんだ、無関係じゃない。それに、退職願の件もある」
少なくとも、この犯人は自分達の行動の全てを把握している訳では無い。
「鍵が開けられるんなら、普通は閉めて帰るだろ。それをしなかったのは・・・」
・・・開けておく必要が、あったから。
「俺達に気付かせたかったからだと思う。・・・穂波ちゃんが、やったように」
そこまで言って、真島は深く煙を吸い込んだ。

隣から真島の顔を見ていた甲斐が直ぐにハッとして、体ごと真島に向き直った。
「まさか君は・・・ 私達の他にもこの件に関わっている人間が居ると、思っているのか?」
「えっ・・・そうなの、真島ちゃん?」
マリちゃんも思わず真島の方へ身を乗り出した。
「関わってると言うより・・・。これをやった人間は、俺達を止めようとしてるんじゃないかと、俺は思ってる」
そんな危険な事からは、身を引け、と・・・。

「あそこには、もう何年も鍵しか保管されて無かった。開けた人間はそれを知ってたと思う。でも鍵は無事だったし、ちゃんと使える。甲斐さんのカードを制限して、退職願を持って行く事で、事足りたんだろう」
それだけで十分なメッセージが伝わると、確信して。

「でも・・・どうして止めさせなきゃいけないんですか?僕達と同じように調べているのなら、協力したら良いですよね?穂波さんのご主人と僕達がやってるように。仲間は多い方が良いし、それに僕達は社外の情報も知ってるんです。僕達と協力した方が、断然 お得ですよ」
「そうですよね・・・。少なくとも私と接触すれば主人の方と連絡が取れますし・・・」
穂波も水元に頷き返した。

「おそらく、知られたく無いんだろう」
甲斐が落ち着いた声で言った。
「同じように会社の不正を調べてはいても、誰とも手を組まず秘密裏に処理したいのかもしれない」
「・・・俺も、そう思う」
長い煙を吐き出しながら、真島は甲斐の言葉に頷き返した。

全てを揉み消して無かった事にしたいのか、他に意図があるのか。どちらにしても、
不正を暴こうとしているのを非難するでなく、ただ黙って手を引かせたいだけかもしれない。

「でも、だったら僕達は、これからどうするんですか?」
水元は更に混乱してしまった様子で訴えた。
「止めた方が良いんですか?それとも、今までどおり、続けるんですか?」
「分からん」
「分からんって、真島さん・・・」
真島は大きな溜息をつきながら、ガシガシとタバコを灰皿に擦り付けた。
分からないのだから、仕方がない。
「とりあえず、今日の仕事をするだけだ。それと・・・、今日は集まるのは止めとこう」
「そうね。こんな事があった日に、皆で居る所を見られでもしたら、良くないものね」
「甲斐さんも穂波ちゃんも、もう戻った方がいい」
甲斐と穂波も頷いた。
「そうだな・・・。そうしよう」
そうして一同は晴れない顔つきのまま、その日の仕事に取り掛かった。




その日の夜。
ベッドの上、いつものように甲斐が真島の背もたれになっていた、のだが・・・。

「裕紀どうした?」
甲斐は真島のウエストに回していた左手を上げて、そっと頬を撫でた。
会社を出る時も自宅へ着いてからも、今日の真島はずっと口数が少なかった。
「・・・ちょっと考え事」
ボソボソと言って、真島は頬に触れていた甲斐の手を退けさせた。
声にもいつものハリがない。
「まさか・・・ 君はまた一人で何かしようと思ってるのか?」
甲斐は慌てて体を横へずらして、真島の顔を覗き込んだ。

「・・・俺じゃなくて甲斐さんだろ」
またボソボソと言って、真島は甲斐の顔が寄せられているのとは反対へ、体ごと横向きになった。
プイっと背を向けて、それでも真島は甲斐の肩に頭を預けて身を任せている。
「私が、どうしたんだ?」
知らないうちに 真島の機嫌を損ねるような事をしてしまったのかと思い、
甲斐は許しを乞うように、そっと真島の背を撫でた。

「・・・何も無かった?」
「何のことだ?」
「カード使えなくなったんだ。他には・・・・・・変わった事無かったわけ?」
ボソボソと言いながら、真島は腰に巻きついている甲斐の手を揺らした。

「裕紀、心配してるのか・・・?」
「・・・何か変わった事が無かったのか、聞いてるんだよ」
その声がすごく心細く聞こえてしまって、甲斐はいつものように真島をからかえない。
「・・・ちゃんと答えろよ。何も無かった?」
真島の手が、何度も甲斐の腕を揺さぶる。
「何も無かった、心配は要らない」
甲斐は両腕を回して真島の体を抱きしめた。
「・・・ほんとに、何も無かったのかよ・・・?」
真島の声がいよいよ心許なくなって、焦った甲斐は真島の体を抱き起こした。

「裕紀・・・?」
覗き込んだ真島の横顔は不安そうに揺れていて、唇をキュっと真一文字に結んでいた。
「心配ないと、言ってるじゃないか・・・」
両手で真島の肩を支えながら、甲斐は説き含めるように囁いた。
「・・・俺達がやってることは、いつ何が起きてもおかしく無いような事なんだよ・・・今は、甲斐さんが一番危ない・・・」
「それでも、こうやって無事で居るじゃないか」
「・・・何かあったら、小さな事でもいいから、最初に知らせてよ。何かあってからじゃ、遅いんだよ・・・」
そう言って、真島は正面から甲斐に抱きついた。
まるでしがみつく様に甲斐の背に両腕を回して、ぎゅっと力を込めてくる。
「裕紀・・・」
甲斐も両腕を回して真島の体を抱き留めた。
まさかそこまで真島が考え込んでいるとは、思いもしなかったのだ。
「・・・甲斐さんに何かあったら、誰が俺のお世話するんだよ」
「私以外の人間に、裕紀の世話をさせるわけがないだろう?」
「・・・何かあったら、俺 泣くからな・・・」
「裕紀を泣かせるような事はしない、約束する」
まるで子供をあやすように、甲斐は何度も真島の背を撫でながら、ゆらゆらと体を揺らして真島を宥めた。
真島の心から不安が除かれて、穏やかな眠りが訪れてくれるのを、祈りながら・・・。

「裕紀・・・?」
「・・・眠くなった。甲斐さん、枕・・」
やがて真島の声がたどたどしくなって、甲斐は真島を抱きしめたまま横になった。
もぞもぞと腕の中で体勢を変えて、真島はいつものように甲斐の腕の中に納まる。
「ちゃんと・・・最初に、知らせてよ・・・」
「約束だ」
「・・・何かあったら・・・泣くから、な・・・」
「分かってる」
果たして甲斐の最後の言葉は届いたのか、真島はすぐに寝息を立てて眠りに落ちていた。

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Comments

拍手コメくださったmさま
『何かあったら泣くからな』 ←^^
相変わらず、可愛いだけでは纏まらない真島なのでした(笑w)
Posted at 2009.07.10 (02:34) by 冬実 (URL) | [編集]
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