今夜、資料室で-27-

「俺は最後まで、これをやるつもりだ。だから穂波ちゃんには直ぐにでも手を引いてもらいたい。
今までずっと調査を続けてたのなら、それも全部・・・ 俺が引き継ぐからさ。その為にはその他の人達とも、話をする必要があるだろう?」

真島が真摯に告げた言葉に穂波の目元が忽ち潤んで、その口元も微かに震え出した。
「真島さん・・・すみません・・・。私が・・・真島さんを頼ったばっかりに・・・」
はっきりと涙の気配が感じられる穂波の言葉に、真島ばかりでなくその場の一同が胸を詰まらせた。
ここ数日の間ずっと調査を続けていた4人には、穂波の気持ちが思いやられた。

「俺にはやらないといけない理由がある。・・・むしろ、今見つけられて良かったと思ってるよ」
真島は口元だけ笑ってみせて、タバコを咥えた。

勝算は何も無い。
どこからどう手をつけたものか、未だにその実体が見えないままで、それでもその先に感じるドス黒い闇は
日増しに深く、濃くなった。
30にもなった男の自分でも、時折足が竦む思いがする。
それでも・・・ それこそが、10年という時間の代償のようにも思えた。

「あの・・・どうして・・・真島さんなんですか・・・?」
しんと静まり返ったところに、水元が遠慮がちに声を掛けた。
「だって真島さん、こういう事には不向きなのに・・・」
「・・・お前一言余計なんだよ」

目を見開いた穂波の顔に、少しだけ笑みが差す。
「一度だけ・・・・・・野崎さんと話をしたことがあるんです」
穂波は足元へ視線を落として懐かしそうに目を細めた。

「すごいですねって、言ったんです。野崎さんみたいに仕事が出来るのが羨ましいって。私はいつも仕事に振り回されるばっかりで忙しさ以外感じた事が無くて、野崎さんみたいに仕事が出来るようになりたいって、言ったんです・・・。そしたら野崎さんが・・・」
今度ははっきりと分かる笑みを浮かべて、穂波は真島と目を合わせた。
「真島さんが居るから、って・・・。自分の足りない所を、何も言わなくてもアイツがちゃんと見つけて、全部埋めてくれてるって。だからいつも、何も考えないでやりたい様に仕事ができるんだって、野崎さんが言ったんです。私それを聞いたとき、お2人の事が本当に羨ましくて・・・」

優しい笑顔をさせて言った穂波がそれ以上見ていられなくなって、真島は手元に視線を落とした。

「真島さんなら・・・見つけてくれると思いました。そういう真島さんなら、信じても大丈夫だって・・・」
そこまで言って、また、穂波から笑顔が消えた。
「こんな事・・・・・・本当は最期まで口を噤んで居た方が利口なんだろうって何度も思いました。自分にだって、会社にだって、どれだけ損害が出るか分かりません。でも他の人達の話を聞いていたら、それは唯の醜い保身なんじゃないかって思えてきたんです・・・」
苦しそうにしていた穂波の表情が一転して、覇気さえ感じる鋭いものに変わった。

「何だかんだと言っても、私たちは恵まれてるんです。私達が良い思いをしている影で、末端の方ではどれだけの人達が苦汁をなめさせられているか・・・。それを知った時、私もやらないといけないんだと、思いました・・・」

決して小さいとは言えないこの会社で起こっている莫大な額の不正。
『末端』・・・。
その言葉は、それがどうやって掻き集められてきたのか、その醜い構造を彷彿とさせるものだった。

「とにかく・・・。一度場を改めよう。これ以上の込み入った話をここで続けるのも良くない」
甲斐が声を掛けて、その場の全員が頷いた。
「とりあえず、私は今日の事を報告してきます」
そう言って、マリちゃんは資料室を出て行った。
「真島さん、私本当に・・・何て言ったら良いか・・・・・・」
もう一度真島と真っ直ぐに目を合わせた穂波は、それでもそれ以上の言葉が続けられずに、ただ苦しそうな顔をして立ち上がった。
そうして真島に向かって一礼をする。
「言ったろ、俺にはやらなきゃいけない理由がある。だからたぶん、俺の所に回って来んだと思ってる」
緊張を孕んだままの表情に少しだけ笑みを載せて、真島は穂波に頷き返した。
穂波は真島に向かってもう一度だけ頭を下げて、静かに資料室を出て行った。

残された真島と甲斐と水元の3人は、暫くの間それぞれが頭の中で考えを巡らせながら、ただ黙って向かい合った。
「真島さん、僕最後まで一緒にやります」
「お前は俺に言われて仕方なく手伝うだけだ」
難しい顔をして身を乗り出した水元を、冷ややかなほどに落ち着いた真島の声が押し戻した。
「何言ってるんですか、僕だってっ・・・!」
「うるさい。言う事が聞けないならこれ以上関わるな」
サラリと何の抑揚も感じさせない声で言って、真島は新しいタバコに火を付けた。
「だったら、真島さん説明できるんですかっ?これから調べて出てきた事を、ちゃんと全部っ・・・」
それでも水元は食い下がって声を張る。
「説明だけなら甲斐さんで十分だろ」
真島は水元とは目をあわせずに、無機質な声に載せて煙を吐き出した
「・・・・・・甲斐さんは・・・良いんですか」
「ガキみたいな事言うな」
面倒くさそうに言いながら、真島は灰皿を持って自分のデスクへ戻った。

「どうしてですかっ、僕だってここまでやったんですっ・・・真島さんや甲斐さんと一緒に、最後までちゃんとっ・・・」
水元は真島を追って隣のデスクに座った。
「手伝う条件だって言ったんだ。聞けないなら止めろ」
「僕だって、ちゃんと最後まで、自分で責任を持ってっ・・・」
「お前一人でどれだけの責任が取れるんだ」
真島は宙へ向かって煙を吹き上げた。
「でもっ・・・あんなこと、真島さんや甲斐さんにだって責任なんてっ・・・」
「お前と甲斐さんを同列に考えるな」
短く煙を吸い込んで、長くなった灰を落とす。
気色ばった水元の隣で、真島の動作はいっそう優雅に映えた。
「僕が・・・頼りないからですかっ・・・」
「そうだ」
「僕が・・・仕事ができないからですかっ・・・」
「そうだ、分かってるんじゃないか」
「どうしても・・・僕は最後までやらせてもらえないんですか・・・」
「分かったんなら奥片付けて来い」
作り物のように整った顔をした真島から発せられる単調な言葉は酷く心無くて、一寸も表情を崩さずに繰り返される応酬に水元も身を縮めて語気を弱めた。
「何で・・・なんで・・・そんな事言うんですか・・・」
唇を噛み締めて肩を落とした水元に、甲斐が歩み寄った。
「真島君・・・」
言葉無い甲斐の叱責の視線が真島に突き刺さる。
「資料室の問題です。口を挟まないでください」
しかしその甲斐の視線でさえも真島はばっさり切り捨てる。
「・・・僕片付けてきます」
言い残して、水元は荒らされた奥の部屋へ走って行った。

「言いすぎじゃないのか・・・」
水元が去って空いた席に甲斐が腰を下ろした。
「水元が一番危ない」
短く言って、真島はまだ残りのあるタバコの火を乱暴に消した。
「あんな経歴持ってたら、水元が最初に疑われてもおかしくない・・・」
もしも穂波に疑いを持った人間が資料室にまで目を向けたなら、
その時最初に狙われるのは、誰か。
「・・・それにしても言い方がある。あれじゃ君が・・・」
「とにかく・・・金の卵だ。これ以上の深入りはさせられない」
そうでなくとも甲斐まで巻き込んで、穂波にも着実に危険が迫っていると分かった今、真島の心中は少しも穏やかではないのだ。
「甲斐さんも戻った方がいい。それから昼休みも・・・」
「・・・分かっている。今日はどうする?」
いつもの終業後の調査。
今日は・・・
「今日は止めとこう・・・」
時間も差し迫ったところへ穂波の口から重要な話を聞かされて、本当は仕事が捗りそうなものなのに、どうにもやる気が沸いてこない。
「分かった、そうしよう。水元君達にも休みが必要だろう」
甲斐も真島と同意見の様子で頷いて、
「・・・迎えに来る。待っているんだ」
いつもの言葉を言い残して、資料室を後にした。



その日一日、資料室にはずっと暗雲が立ち込めていて、帰り際まで気まずい雰囲気が漂っていた。
水元が必死に真島へ向けている視線は一度も交わることはなく、水元が言葉を掛ければ真島がまた単調で無機質な声でバサバサとなぎ払う。
時折見かねたようにマリちゃんが間に入って、なんとか事なきを得て終業を迎えた。

「失礼」
そしていつもの甲斐の声に一番救われたのも、マリちゃんだった。
「甲斐さん・・・」
マリちゃんの疲れ果てた表情に、甲斐は真島と水元を見やった。
朝、別れた時の状態が続いているのは一目瞭然。
「マリさん、申し訳ないがコーヒーを淹れてもらえませんか?4人分」
真島の隣に腰掛けた甲斐が柔らかく微笑むと、マリちゃんもほっとした様子で笑顔を返して席を立った。

「私は・・・真島君の意見に賛成なんだ、水元君」
「え・・・」
「君にはあまり深く関わって欲しくない」
唐突に告げられた言葉に、水元は向かいの甲斐に向かってポカンと口を開けて目を見開いた。
いつもは真島から水元を庇う様な立場でいてくれた甲斐が、今日は真島の肩を持っている。
「どうしてですかっ・・・僕だって手伝えたじゃないですか、これからだってっ・・・!」
「ここから先はお手伝いで済むようなことじゃない」
聞きなれない甲斐の強い口調に、水元もぐっと息を呑んで怯んだ。
「でもっ・・・僕は・・・っ!!」
水元の声が微かに震えだす。
「せっかく安定した会社にいるんだ。多少仕事についていけなくてもまた異動すればいい。何も自分からクビになるような事をする必要は無い」
顔色一つ変えることなく、甲斐は水元の真正面からそんな言葉を言い放った。
いつもの甲斐に似つかわしくない言葉に、奥でやり取りを聞いていたマリちゃんも思わず振り返る。
そしてそのやり取りを、真島は目を閉じて ただ黙って聞いていた。

そして・・・少しの間があって・・・・・・
不意に、水元がフラフラと幽霊のように立ち上がった。
「僕は・・・僕はこれまで6度も異動して・・・ここへ異動が決まった時・・・ここで結果が残せなかったらもうこの会社も辞めようって、決めてたんです・・・」
やがて水元の肩がわなわなと震え始めて、目に一杯涙を溜めた目をカッと見開いて顔を上げた。
「・・・今更 クビなんて怖くないんですよっ・・・ そんなのっ・・・僕は異動の度に考えてたんですよっ・・・!!」
水元は、まるでこれまで鬱積していたものをぶつけるように、両手でバンッ!!と机を叩いた。
「自分にも確かにやれるかもしれない事が、ここにあるのにっ・・・何もしないでいる方がっっ・・・クビなんかよりよっぽどカッコ悪いんですよっっ!!」
誰に向かって掛けられたとも分からないその声は資料室中に響き渡って、机を叩き付けた水元の手はグッと拳を作って震えた。

「・・・だ、そうだ、真島君」
甲斐に声を掛けられた真島は、渋い顔をして目を開けた。
「出来れば関わって欲しくないと思っているのは本心だ。穂波の話を聞いても分かるとおり、私達が思っていたより遥かに大掛かりな仕事になる」
「そんな事っ・・・・・・もうとっくに分かってますっ・・・」
「君の人生が大きく狂わされるかもしれない。どういう結果になっても、誰も恨んだりしないと約束できるか?」
「僕はっ・・・僕は自分の意思で、自分の為にやるんですっ・・・! 真島さんの為になんて、絶対やりませんっ・・・!!」
今にも涙が流れそうな目を懸命に凝らして、水元は怒鳴りつけるように甲斐に返事をした。

「どうなんだ、真島君」
苦笑気味の甲斐の声に、真島がようやく口を開いた。
「・・・お前本当に分かってるのか」
「そんなこと真島さんに言われなくてもっ・・・父を見てきた僕の方がよっぽどっ・・・」
俯いた水元の顔から、雫が1滴ポタリと落ちた。
「メソメソ泣くなよ・・・。それじゃ本当のガキにしか見えないだろうが・・・」
真島は水元の前にティッシュを放り投げた。
「俺はこの手の事は全く無知だ。お前の面倒は甲斐さんに見てもらう。俺は頼るな。いいな?」
ぶっきらぼうに言われた真島の言葉に、水元はぐしゃりと顔を歪めて大きく頷いた。

そしてその様子を見届けていたマリちゃんが、ほっとした表情で4人分のコーヒーを持って現れた。
「ところで・・・どうだろう、皆でコーヒーでも飲みながら退職願を書かないか?」
甲斐はいつもの穏やかな微笑みを湛えながら鞄の中からプリントを取り出した。
「レイアウトを持ってきたんだ。わが社は手書きで提出する決まりだからね。日付だけ後から入れれば良いだろう」
縦書きの便箋まで用意していて、各々に配り初める。
「待てよ、マリちゃんは・・・」
「いいじゃない、ついでよ」
「ついでって・・・」
マリちゃんもにっこり笑って、甲斐から便箋とプリントを受け取った。
「・・・もう俺は知らん」
4人はコーヒーを飲みながら退職願をしたためて、施錠された引き出しで保管されることになった。



そして甲斐の部屋に帰った2人は・・・
「まるで子供のケンカだ。あんな調子で1日やってたらマリさんが気の毒じゃないか。水元君は君を慕ってるんだ」
「甲斐さんの間違いだろ」
「せっかく私が丸く収めたんだ。もう少し感謝してくれても良いだろう」
甲斐はクスクス笑いながら真島の髪を乾かして、真島はブツブツと文句を言いながら鏡の前に突っ立っている。
「・・・もういい」
真島は甲斐の手を退けてスタスタと寝室へ向かった。
すぐに甲斐が追いついて、いつものように手を引かれてベッドへ乗り上げる。
「そういえば穂波も、君を慕っていた」
「聡示の間違いだ」
「その野崎君も、随分君を頼りにしているみたいだ・・・」
「・・・あんなのお世辞だろ」
「やはり君は無自覚に人を惹き付けている」
甲斐は真島の前に回した手で、紅藤色の絹地を広げ手見せた。
「何だよ」
「やはり人を惹き付ける原因には・・・ 『溜まってるから』 も、あると思うんだが・・・」
「・・・まさかそんな事考えながら穂波ちゃんと話してたのかよ」
「バレてはないだろう?問題ない」
疲れのせいか何なのか、至ってマジメに言った甲斐に真島は思わず吹き出した。
「溜まってるのは甲斐さんだろ」
真島は肩を揺らしながら笑った。
「分かってるなら・・・どうにかしてくれないか・・・」
甲斐もクスクスと笑いながら真島の耳朶に吸い付いて、明りをおとした。

「・・・別にいいけど」
そう言って、真島は目の前にぶら下げられた絹地を取り上げた。
「甲斐さん、目 瞑ってよ」
振り返った真島は、手にした絹地で甲斐の視界を覆った。
無抵抗になった甲斐の身体を押し倒して、その上に乗り上げる。
「そうか・・・たまには裕紀に食われるのもいい」
甲斐は楽しそうに言いながら、腹の上に座った真島のパジャマの中に手を差し込んだ。
「8年分まとめて出すとか言うなよ」
笑いながら、真島は甲斐に唇を重ねた。

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