今夜、資料室で-19-

小さく飛び跳ねながらブンブンと手を振り続けるマリちゃんへ向かって、真島と甲斐は駆け出した。
少し前を走るマリちゃんは、資料室のセキュリティを解除して、その一番奥の扉へ向かって進み続ける。
一段と厚みのあるその部屋の扉が開かれたと同時に、真島と甲斐は追いついた。

「おい・・・・・・何だよ、これ・・・」
「・・・どうしたんだ一体・・・」
20畳程の広さのその一室、真島に続いた甲斐も中の様子に目を見開いた。

社内でも一部の人間にしか閲覧の許されない 「confidential」 の朱印が押された紙が所狭しと散乱していた。
規則正しく整理されていたはずの本棚は、見るも無残に荒らされている。

「さっき見たらドアが少し開いていて、来てみたら・・・こんなに・・・っ」
マリちゃんは顔を蒼白にして床を見つめた。
資料室の3人の中で最初に出勤するのはマリちゃんで、出勤後、この広い資料室の中のブラインドを全て上げて回るのが最初の仕事。
「ここの扉を開けて人が入っていくのは、1年のうちでもそう無いのよ・・・。今までこんなこと1度も無かったのに・・・」
自分の体を支えるように腕を抱くマリちゃんに、甲斐が静かに告げた。
「・・・とにかく、直ぐに上に知らせた方がいい」
真島も甲斐の言葉に頷いて、オロオロと落ち着かないでいるマリちゃんの肩に手を置いた。
「なぁマリちゃん、資料室の管理ってどこがやってんの?」
そっと肩をさすりながらマリちゃんの顔を覗き込む。
「うちだ」
真島の声に答えたのは、甲斐だった。
「えっ?」
「・・・資料室は、法務の管理下にある」
「法務?」
「そうなの・・・」
真島はマリちゃんと目を合わせて、甲斐は渋い顔をして床を眺めていた。



マリちゃんが報告したと同時に法務の人間が押し掛けて来て、資料室は朝一番から慌しくなった。
「どういう事なんだ、どうなってるんだ一体」
部長以下、管理職の人間が後から後から押しかけて来る。
「これがどういう事なのか、君たちは分かっているのか?」
「君たちはここで何を管理してるんだ」
資料室の3人に向かって厳しい言葉が次々飛んでくる。
「ちょっと、待ってください」
すっかり竦んでしまって声の出せないマリちゃんと水元に挟まれて、真島が落ち着いた声を発した。
「この扉は私たちのIDカードでも開きません。彼女が1つだけ保管しているカードは鍵の掛かった引き出しの中で無事だったんです。社内の人間であれば誰でも出入りができる資料室で、これ以上防ぎようもありません」
この大事に動揺の欠片も見せない真島の態度が気に喰わないのか、正面に鎮座した上役は収まりのつかない苛立ちを真島へ向けて発散する。
「それでも3人も居るんなら、不審な行動をしている人間くらい見つけられるだろう?」
「全く、とんでもない事をしてくれる」
「こんな事になる前に、何とかするのが君たちの仕事じゃないのか」
それでも真島の態度は崩れない。
「社員の一人一人を疑っていてはキリが無いんです。そういう事なら、最初から誰でも出入りできるようなシステムにしておくのが問題なんですよ。お分かりでしょう?利便性を高める為には保安面に多少の犠牲が伴うんです。少なくとも昨日退室する時までは無事でした」
最後の扉だけ高レベルの権限が必要ではあっても、そもそも資料室自体は社員であればIDカードで容易に入室できるのだ。
そのシステムでこれまで大丈夫だったのだから、今更それを非難されるのも割に合わないというもの。
「・・・とにかく。ここの扉のセキュリティレベルを上げるしかない。それと、紛失した資料が無いか、1つ残らずチェックするんだ。この事は一切 他言無用だ」
いちいち最もな事を言う真島に一瞥をくれて、上役達はゾロゾロと引き返していった。


「真島さん、すごいです。尊敬しちゃいました。僕なんて怖くって、何も言えませんでした・・・」
「こんな事で尊敬してもらっても嬉しくないんだよ」
「でもほんと、真島ちゃんが居てくれて助かったわ。ありがとうね」
3人は鈍よりとした空気に包まれたまま、ばらばらに散らばった資料を拾い続けていた。
「マリちゃんも気にすんなって。俺達にはどうしようもなかっただろ?」
昨日まではいつもと変わりない生活をしていたのだ。
事は大事でも、災難だったと割り切るしかない。
「でもここの扉・・・法務の人は開けられるんですね」
水元が入り口に目を向けてぽつりと言った。
「手を止めるな」
「あ、すみません」
「それでも、誰でもじゃないのよ」
箱のファイルを拾い上げていたマリちゃんが、2人の所へ寄ってきた。
「管理職なら無条件に開けられるっていうことも無いし、それと同じで、キャリアの少ない人は絶対入れないっていう事も無いの」
「へぇ・・・」
セキュリティの考え方としては面倒な事をしているものだと、真島は一人 考えていた。
管理をする方もされる方も一定以上の役職に区切った方が楽だし、第一こんな方法を取ってしまうと、新しい人間が入るたびに更新しなくてはならない。
何より保管されている物は重度の機密情報。
年に数名しか閲覧する者がいないような代物なのだから、その権限をガチガチに縛ってしまっても問題は無いのだ。

「だったら、甲斐さんは閲覧できるんですかね?」
水元が何気なく言った言葉に、紙を拾い集める真島の手がピクリと反応した。
「聞いた事は無いけど・・・ でも甲斐さんだったら見れないと不便だろうし、きっと入れると思うわ」
「不便?」
真島は低い姿勢からマリちゃんを仰ぎ見た。
「甲斐さんは前から良く来てたのよ。その頃は話なんてした事無かったけど・・・ お役所や株主へ提出する文書もチェックするし、何より関わった仕事の数が多いでしょう?ここへ入れないと不便なはずよ」
拾い集めた紙をファイルへ差し込みながら、マリちゃんは遠い記憶に思いを馳せるように、ぽつりぽつり口にした。
「そうなんですね。やっぱり甲斐さんすごい人なんだなぁ」
水元が目をキラキラさせながら動き回るその横で、真島は難しい顔をして考え込んでいた。
嫌な予感がしてならい。
穂波が話していた甲斐の仕事の状況。
自分とのヘンな噂が囁かれている中で、ここでこんな事が起こるのが偶然だとは思えなかった。

「なぁ、水元」
「はい?」
わさわさと手元を動かしながら、真島は水元に声を掛けた。
「甲斐さんとこ行ってきてくれ」
「今からですか?」
キョトンとした顔をして、水元は大きな目をクリクリさせる。
「今すぐだ。・・・昼休み、今日はここへは来ないように言って来てくれ」
「えぇっ・・・僕 甲斐さんが来るの楽しみなのに・・・」
水元はあからさまにムスっとした顔をして口を尖らせた。
「そうね、その方が良いかも知れないわね・・・」
マリちゃんは真島の意図を理解して、溜め息をつきながら小さく頷いた。
「お前やっぱりバカだな。誰がやったのかも分からない時に、ここへ入れる人間が頻繁に来てたらマズイだろう」
「それが・・・甲斐さんのためなのよ」
2人に同時に目を向けられて、水元はハッと息を呑んだ。
「あっ、そうか・・・」
「分かったら早く、行って来いよ」
「僕っ・・・行って来ます!!」
真島の言葉に促されて、水元は足をもたつかせながら資料室を飛び出して行った。
残った2人はようやく床が見えてきたその部屋で、また手を動かし始める。
「・・・それにしても、一体誰がこんな事するのかしらね・・・」

一体誰が、こんな事をするのか・・・。

「なぁ、マリちゃん・・・」
「なに?」
「・・・犯人、捜そうか」
「え・・・?」
マリちゃんは驚いてそのまま固まった。
「水元やマリちゃんには・・・なるべく迷惑が掛からないようにするからさ」
「真島ちゃん・・・」
真島と顔を合わせたマリちゃんは、真島が本気で言っているのが分かって口を噤んだ。
「・・・俺の骨、拾ってくれる?」
「何・・・大げさな事言ってるのよ」
もしも甲斐の足を引っ張るつもりの輩がやったことなら、利権絡みの策略で上の上まで芋づる式に繋がっているのかもしれない。
甲斐と親密になった自分に嫌がらせをするつもりでやった事なら、この機に乗じて見せしめにもしてやれる。
「俺さ、やられっ放しは嫌なんだよね」
ただアノ病気がある自分では、どこまで自由が利くかも分からない。
ぱったり倒れた所へ殴り掛かりでもされれば・・・・・・
「まぁ、良いわ。どうせ退屈してるんだし。真島ちゃんの骨は私が拾ってあげるわよ」
目だけは真剣なまま柔らかく微笑み返してくれたマリちゃんを見て、真島も 『ありがとう』 と微笑み返した。


そしてその日の帰り。
「今日はつまらなかったです。甲斐さんに1度もゆっくり会えなくて・・・」
「仕事はタンマリあったんだ。充実してただろうが」
「・・・こんなに疲れたの、何年ぶりかしら」
各々それぞれの理由で暗い顔をして、3人が資料室を出ようとした時
「・・・失礼」
終業と同時にいつものように甲斐がやって来た。
「あっ!甲斐さん!」
「あら、今日もお迎えご苦労様です」
何やってんだよ・・・
こんな時に・・・。
「真島ちゃん戸締りお願いね。お先に」
出て行った二人を背中で見送って、真島は大きな溜め息をついた。

「・・・何やってるんですか」
「もう仕事は終わった」
「今は状況が違うでしょう。とにかく、今日はすぐ帰らないとマズイ」
真島は鞄を持って立ち上がった。
甲斐が資料室に入り浸って内部の人間と関わる事は、今は一番避けなければならない。
「なら私の家に来るといい」
「だから、今は状況が・・・」
語気を強めた真島の体が、後ろからすっぽりと覆われた。
「・・・今日は一緒に居て欲しいんだ」
両腕を回して真島の体を拘束しながら、甲斐は真島の肩に頬を寄せた。
「・・・何も今日じゃなくても」
「君にもしもの事があったら、私は・・・」
「・・・そんな事があるわけないでしょう・・・」
呆れたように言いながら深い溜め息をついて、それでも真島は甲斐に一切抵抗しない。
「私の所為かもしれないだろう・・・?」
「別に・・・・・・俺の所為かも、しれないじゃないですか・・・」
甲斐も今朝の一件がずっと気になっていたに違いなかった。
そして真島が感じた嫌な予感を、同じように感じ取っていたはず。
「こんな時なんだ、一緒に居てくれ・・・」
そんな甲斐の気持ちが分からない真島ではなかった。
何より犯人を捜したいと思ったのは、甲斐の為でもあったのだから・・・。
「・・・・・・分かりましたから。離して下さい」
回された手に手を添えて、やんわり外させる。
「・・・裕紀」
名前を呼ばれると同時に甲斐の視線にぞわぞわと背筋をなぞられる感触がして、真島は静かに目を閉じた。
回されていた腕が離れると同時に後ろを向かされて、唇に柔らかい感触が落ちてきた・・・。

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