今夜、資料室で-17-

甲斐の手の中の真島は少しだけ唇を赤く膨らませて、スッと脇へ流れる涼やかな目元を瞼で隠している。
未だその中の瞳を覗く事は許されなくても、8年間の思いは終に思い人の心の奥深くへ届けられた。
「奇麗だ・・・・」
野崎の手によって何年も守られ続け 他の人間との接触を断ち切りながら過ごして来た真島は、まるで貴い神獣のように感じられた。
どこを切り取っても妖しく美しい光を放つに違いないその真島の体を抱き寄せて、甲斐は首筋に唇を押し当てた。
「・・・裕紀」
初めて呼んだその名前は、熱い吐息と共に淡く消えていった。
そして真島の手が甲斐の上着の背を握り締めて応えてくる。
「・・・裕紀」
もう一度声にして囁いて、甲斐は軽く皮膚を吸い上げた。
その瞬間 真島の体がピクリと跳ねて、籠もった小さい声がした。

「・・・呼ばないで欲しいんですけど」
こんな甘やかな時間に不釣合いな事を言う真島に、甲斐は心底残念そうに言った。
「・・・もう裕紀は私の裕紀になったんだ・・・。それなのに・・・ 名前を呼んではいけないのか?」
「その声で・・・・・・そんな風に、呼ぶなって・・・」
すっかり力を抜いて甲斐に体を預けている真島の口から、照れ隠しの不貞腐れた声がする。
「・・そうか・・・。裕紀はこの声が、イイのか・・・」
甲斐は心から嬉しそうに言って、フッと息だけで笑った。
そうして真島の髪をやんわり撫でる。
「・・・うるさい」
とがった声で言いながら、真島は嫌がるように甲斐とは反対の方へ顔を向けた。
それでも甲斐の肩口に頭を乗せて身を任せている。
「・・・声も気に入ってくれていたのか・・・裕紀」
思わぬ収穫を得た甲斐は イタズラ心がくすぐられて、たっぷりと欲を滲ませて真島の耳元へ囁いた。
「だからその声で、そんなふうに・・・・・・呼ぶなよ・・・」
「・・・気に入ってくれたのだから、良いじゃないか・・・」
甲斐は微笑みを乗せて囁きながら、ちょっとだけ真島から体を離した。
肩口に額を乗せている真島の襟元から僅かに覗くうなじへ、視線を這わせる。
「・・・見ないでください・・・」
「・・・私の可愛い裕紀をちょっと見るくらい、許してくれても良いだろう?」
髪を撫でていた指を滑らせて、目に留まったその艶やかなうなじをツッっと辿る。
「・・・そんな・・・エロイ目で、見るなって・・・・・・一体 何考えてるんだよ」
「・・・そうか・・・裕紀は目が合わなくても 『視姦』 が分かるのか・・・」
また1つ、甲斐は心躍らされる新しい発見をした。
「・・・見るなって」
「・・・呼ぶな、見るなじゃ、何も出来ないじゃないか」
甲斐はクスクスと肩を揺らして笑い始めた。
「・・・誰のせいだよ・・・」
「・・・先が楽しみだ」
「・・・そんな目で見るなって・・・」
「・・・可愛いな・・・裕紀」
「・・・呼ぶな」
本当に・・・
これは 楽しみだ・・・。

甲斐は真島との間に片手をそっと潜り込ませて、上着のボタンを外し始めた。
「・・・何してるんですか」
「・・・何かして欲しいのか・・・裕紀?」
「・・・何で・・・そんないちいち・・・ エロイんだよ・・・」
「・・・上着を脱がせるだけだ」
笑いながら、脱力して身を委ねている真島から上着を剥ぎ取って、甲斐は自らも上着を脱ぎ捨てた。
「薬は?」
「・・・持ってる」
「なら、こっちに」
甲斐は真島の腕を引くようにして、いつのもの体勢を取らせようとした。
手を引かれた真島はその意図を理解して、緩慢な動作で甲斐の足の間に腰を下ろした。
真島の腰に腕を巻きつけながら甲斐がその体を引き寄せると、2人の体は慣れた格好にぴったりと収まる。

ただいつもと違うのは・・・

「裕紀・・・」
熱っぽい吐息と共に甲斐のしっとりとした声が真島の耳元へ流し込まれて・・・
「・・・だからその声で・・・呼ぶなって・・・」
その甘やかな声音に真島が小さく体を捩りながら抵抗を見せると・・・
「・・・可愛いな・・・。それに、奇麗だ・・・」
2人の間に薄桃色の淡い空気が、立ち上る。

「仕方がないじゃないか・・・。裕紀の名前を呼ぶと、こう なってしまうんだ・・・」
目を細めた甲斐は愛猫でもあやす様に指先で真島の頬を撫でていった。
「・・・そんなはず・・・無いでしょう」
相変わらず可愛らしい事は言えない真島は文句ばかり言いながら、それでも甲斐のなすがままに身を委ねている。
そんな真島が尚も愛しく感じられて、甲斐は直ぐそばに見つけた真島の耳朶に唇を寄せた。
「見るのは 許してくれるだろう・・・?」
唇を触れさせたまま囁かれた真島は小さく息を呑んで、少しだけ俯いた。
「・・・普通に 見てください」
甲斐はその僅かな反応を見逃さず、思わず声に笑みを滲ませた。
「裕紀を見るときは、どうやっても・・・そう なってしまう・・・」
「・・・結局、そうなのかよ・・・っ」
拳を作って甲斐の腿を小さく叩いた真島を、甲斐はぎゅっと抱きしめた。



そして次の日の昼休み。

「あの・・・」
「・・・ん?」
いつものように真島と甲斐が隣り合わせで座って、その向かいにマりちゃんと水元が並んでいる。
「マリさん、やっぱり・・・」
「そうね、そうよね・・・」
「・・・なに?」
そして水元とマリちゃんは、真島に怪しげな視線を向けていた。
「何か・・・真島さんが・・・」
「そう・・・なのよね・・・」
「2人して・・なに?」
真島は読んでいた雑誌から目を上げて二人を見た。
「今日の真島さんは優しい気がします」
「血色も随分良いみたいだし、何だかとっても・・・」

「何か気持ち悪いですよ」

「・・・おい」
真島は2人にキっと目を遣った。
「きっと良い事があったんですよ。嬉しいじゃないですか、あれほど心配していた、あの真島君が こんなに艶々して・・・」
1つも2つも含みを持たせながら嫌味の無い笑顔でサラっと言った甲斐を、真島は気迫で睨みつけた。
「奇跡的だ」
「そうですよね、こんな真島ちゃん 滅多にお目に掛かれないわよね」
「でもやっぱり・・・ 気持ち悪いですよ・・・」

「疲れる・・・・・・タバコ」
各々言いたい放題の3人を残して、真島は灰皿を持って外へ出た。
そしてその後を影のように甲斐がついて来る。

「随分 顔色も良くなったんだ。良い事じゃないか」
喉の奥で笑いを殺した甲斐が真島の隣に腰掛けるなり言った。
「何が奇跡だよ・・・」
真島はタバコに火をつけて、最初の1口を吸い込んだ。
「8年も掛けて実るものがあるなら、奇跡だ・・・」
甲斐は正面を向いたまま真島の左手を探り当ててベンチの上で重ね合わせた。
「・・・そういう事言うのはズルイだろ」
茹だるような蒸し暑さに眉を寄せながら、2人はしばらく黙って景色を眺めた。


「穂波ちゃんが、さ・・・」
「・・・会ったのか?」
真島が言うなり甲斐が振り返った。
「昨日、俺のところに来てくれたんだけど」
「彼女から・・・聞いたのか?」
「・・・まぁ」
「そうか・・・」
甲斐は真島から向き直って、足元へ目を遣った。

「彼女のことなら、私は別に・・・」
「いや、そうじゃなくて・・・仕事のほう」
「仕事?」
「・・・マズイんじゃないの?・・・こっちに来るのは」
真島は深い息と一緒に煙を吐き出した。
「君は・・・それで」
甲斐は真島が昨日 急に態度を変えた原因がそこにあったことを悟った。
「・・・仕事が絡むと良くない」
真島は半分まで吸ったタバコの火を消した。
「彼女が、そう言ったのか・・・?」
「そうは・・・言いませんでしたけどね」
「そうだろう。彼女だってそこまでは言ってないんだ、気にする必要は無い」

甲斐は重ね合わせた真島の手を握り締めた。
「昨日も言ったじゃないか。そんな事くらいで私の気持ちはブレない」
「・・・今は大事な時だって聞きましたけど」
「気にしても仕方が無い。要らぬやっかみは他にいくらでもある」
それでも納得のいかない顔をしている真島の手を、甲斐は少しだけ引き寄せた。
「心配する必要は無い。今日も迎えに来るから。待っているんだ」
「・・・でもさ・・・」
「裕紀?」
「・・・・・・分かったって・・・」
そう言って、いつものように甲斐はオフィスへ帰って行った。

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Comments

絶好調ですね。
こんばんは。
今日もソフトでありながら艶っぽさ満点です。
読み終えた時には
「やっぱり脱がすならスーツだよな。
自分も、誰かのネクタイ解いて、シャツのボタンをはずしてみたかったなぁ。」
と思いました。
フツーの女子で過ごした若い頃がもったいなかったなぁ。

Posted at 2009.06.16 (22:04) by コマティ (URL) | [編集]
Re: 絶好調ですね。
こんばんわ!コメントありがとうございますです。
> 今日もソフトでありながら艶っぽさ満点です。
おおおお・・・、そう言って頂けると嬉しいです!
冬実も密かに目指しています、何も脱ぐだけが・・・(笑w)
> 「やっぱり脱がすならスーツだよな。
> 自分も、誰かのネクタイ解いて、シャツのボタンをはずしてみたかったなぁ。」
> と思いました。
そうなんですよね。
あのピシっと戒められている感じが、厳しさの中にも何故か色香を漂わせて・・・・・・(以下、自粛)
男性同士だと、反対側からでも簡単にネクタイ締めることできちゃうんでしょうか。
書いている冬実も 「はて・・・」 と思いながら甲斐にネクタイを締めさせ、解かせました(笑^^)
> フツーの女子で過ごした若い頃がもったいなかったなぁ。
ぷぷぷ (^-^) いえいえ、これから取り戻してしまえば良い訳です。(笑w)

コメントありがとうございます。思うように筆が進まない時は何より励みになっています!
また、お越しくださいませノ
Posted at 2009.06.16 (23:40) by 冬実 (URL) | [編集]
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