今夜、資料室で-12-

甲斐は深く結び合わせていた唇を名残惜しく解いて、真島の体を真後ろから抱き直した。
「・・・このまましばらく眠ったらいい」
耳の後ろから囁き掛けると、ほんの少しだけ熱を帯びた息をしていた真島が小さく頷いた。
掻き混ぜてしまった髪を梳き直してやりながら、視界を閉ざしていたネクタイを解いて落とす。
「・・・お休み」
無防備に体の力を抜いて背を預けてくる体に両腕を巻きつけて、真島が一番安心する姿勢を作ってやった。


真島は偶然にも、自分の腕の中でなら 深い安堵を得て心地よい眠りに就く事ができただけ・・・。
しかし たとえ偶然でも、
8年もの間 片側の好意を寄せてきた自分が、その事を嬉しく思わないはずがなかった。

こんな子供の悪戯のような関係を続けながら、それでも真島の側からは離れられない。
何度も何度も断られ続けているうちに、自分の事を 『どうしようもない奴』 だと言った真島が、
口には出せない大きな不安を抱えている事が分かってしまった。

自分の所為で他人が傷付く事を何より畏れている真島は、『忘れろ』 『諦めろ』 と繰り返しながら 言い寄る人間をなぎ払って、病気の事を気遣う人間でさえも簡単には近づけようとはしない。

それでもいざ一人で生きて行くとなると、人と容易に目を合わせられない真島には不都合な事ばかりで、どうしても野崎のように付ききりで側に居る人間が必要だった。

けれど中々に律儀な性格をした真島は、その野崎にでさえ申し訳ないという気持ちが拭えないでいるフシがあって、全幅の信頼を寄せて頼っていながらも、そういう自分を心の端で疎んでいる。

「ずっと・・・ 心細かったんじゃないのか・・・?」
穏やかな寝息を立てている真島の後ろから、甲斐はぽつりとつぶやいた。

唯一 頼りにできる野崎とも、やがていつかは今のように連れ添っていられなくなる日が来る。
真島はその不安をずっと抱えながらこれまでの10年を過ごしていた。
いつか本当に、一人きりになってしまう事への不安。
それが分かってしまった・・・。

「そばにいる事くらい、許してくれてもいいだろう・・・?」
甲斐は真島を抱きかかえる腕に少しだけ力を込めた。

一人寂しく不安を抱える頼り無い姿を見せてくれた真島を、今まで以上に愛しいと思えてならない真島を、自分の手で支えてやりたい。
たとえ想いを受け止めてはくれなくても、甲斐には1つの迷いも無かった。

なのに真島は 自分に対して心を砕かれる事をいつもいつも気に病んで、どうあっても一人で居る事を選ぼうとする。
だからこそ、『褒美が欲しい』 などと言って、取引のような事を 毎度毎度 続けるしかなくなった。

こちらだって弱みにつけ込んで唇を奪うようなマネをしているのだから、真島の方もその対価として自分を利用しても問題は無いのだと、刷り込んでやるしかなくなった。

「本当に・・・ 神さえ呪ってしまう・・・」
喉の奥で押し潰された苦々しい声が、甲斐の唇の間から漏れ毀れた。
真島が少しでも穏やかな気持ちで居られるのなら、こんな取引のような事でも半ば強引に続けても良いと最初は思っていたのだ。

それでもこの頃は、それが段々苦しくなった。
こんなマネをして、本当に心の底から真島に憎まれてしまう事が、怖くなっていた。

こうやって温もりを分け合うような事を重ねて来た所為か、いつからか、真島の心を近くに感じる瞬間が増えている。
あんなにも他を寄せ付けない真島が、自分だけは近くに居る事を許してくれているのだと、感じてしまう。

それがもしも、自分に対する可能性に変わるのだとしたら───。
たとえ真島の為とはいっても、これ以上嫌がる事を続けて憎まれたくは無かった。

唇を重ねる事を許してくれているのは ただの取引としてでは無くて、
真島が自分に寄せてくれている何らかの好意の現れだと、思いたかった・・・。

触れれば触れるほど真島が近くに感じられて、余計に苦しくなる。
8年間も追い続けた想い人が腕の中にいるというのに、ただの友人としてでも、その目で見つめ返してくれる事は無い。

「君は・・・ どうして私では・・・・・・」
甘い香りのする真島の細い首筋に唇を押し付けて、甲斐はぐっと眉を寄せながら真島の体を抱きしめた。



◆=◆



瞼に受ける日差しで目を覚ました真島は、もう見慣れてしまった部屋の景色に小さな溜め息をついて、ゆっくり体を起こした。
「良く眠っていたんだ。気分は?」
甲斐が背を向けてベッドの縁に腰掛けた。

また、やってしまった・・・。
「・・・気分はいいですけど。・・・・・・ご迷惑をお掛けしました」
「謝る必要など無いと言っているのに、君は毎回 同じ事を言う・・・」
甲斐は苦笑しながら言った。
「時間は・・・」
「ここから出勤した方が良い」
指差された先にある時計は、もういい時間を指していた。

「君の新しい着替えを下ろしてある。シャワーを浴びたらいい。さすがに君のサイズは覚えてしまったよ。慣れたからね、買い置きも欠かさない」
うっかり熟睡してしまう真島を甲斐が自宅へ連れ帰る事も珍しくなくなって、今ではまるで半同棲のような状態になっていた。
その事もますます真島を落ち込ませていて、いつも言いようの無い罪悪感に襲われた。
「私が好きでやっている事だ。このくらいさせてくれ。役に立ちたいと、言っただろう?」
背中からでも真島の様子を感じ取ったように言いながら、甲斐はベッドの上にあった真島の手を見つけて引っ張り上げた。
真島はそのままバスルームまで手を引いて行かれて、ドアの前でタオルを渡される。
「・・・すみません」
一言だけ詫びて中へ入ろうとした時・・・。

「え・・・」
不意に後ろから甲斐に抱きしめられて、真島はその場で硬直した。
「一度だけ、許してくれないか・・・」
首元にかけられた熱のある息に煽られて、急速に鼓動が早くなる。
「ご褒美ではなく・・・ 君とキスがしてみたい・・・」
色に滲んだ声にくすぐられて、耳元が熱を持った。
「嫌ならいい、そう・・・言ってくれ・・・」

いつも温厚で穏やかな居住まいをしている甲斐の、一体どこにそれほどのものが隠されていたのかと驚いてしまうほどの色香が立ち込めて、合わされた背中越しにも体の動きが封じられてしまう。

「一度だけでいい・・・ 」
半分掠れて半分濡れた艶のある声が、甲斐の雄の性を知らしめた。

断っても良いと言っている甲斐に自分から応えてしまう事がどれほどの意味を持っているのか。
甲斐の熱に中てられてしまった真島にはうまく考えられなかった。

それでも、良く知った腕も唇も手のひらも、自分にとっては決して嫌なものでは無い事は確かで、
縋るような仕草で自分の体を抱きしめている甲斐を退ける理由は見つけられなかった。

「・・・絶対に・・・目は開けないでください」
「・・・分かってる」

「・・・キス、だけ・・・」
「・・・誓っていい」

「・・・一度きり・・・」
「・・・それでいい・・・」

「・・・・・・そっちを向きますから・・・」
「・・・絶対に、目は開けない」

甲斐の腕が少しだけ緩められたのを確認して、真島は体を回転させた。

何だよ・・・ 男前な顔しやがって・・・・・・。

キスの間際に初めて見るその表情は、大人の色香をたっぷりと滲ませて、毎日会話を交わしているあの甲斐とはまるで別人だった。

「一度だけ、ですから・・・」
真島は持っていたタオルを落として、目を閉じた甲斐の唇へそっと自分の唇を重ね合わせた。

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