今夜、資料室で-8-

終業と同時に逃げるように退社した真島は、いつもより早足で家へ帰った。
1日のうちに2度倒れて3度も気を失ったのは初めての事で、ここ最近は倒れる事も無くなっていた真島の体はぐったりと疲れ切っていた。

シャワーだけ浴びてベッドに転がり、いつやって来るか分からない眠気が来るのをひたすら待つ。
体は疲れているはずなのにピリピリと神経が高ぶっているせいで、いつも以上に目が冴えていた。
日付が変わってしばらく経った時、年に数回しか掛かってこない自宅の電話が鳴り出した。

『もしもし?』
『まだ生きてたか』
聞き慣れた声がして、強張っていた背筋から無用な力がスーッと抜けていく。
『聡示か。どうだ、そっちは』
『日本と大して変わらない』
『そうか・・・』
発症して以来、こうやって他愛もない話ができるのは野崎だけになってしまった。
野崎と居る時だけは何もかも包み隠さず、ありのまま気を抜いていられる。
『お前・・・、倒れたんだろう』
『・・・まぁな』
『何回だ』
『・・・2回だよ』
『初日から散々だったな』
小さな含み笑いが聞こえたものの、野崎の言葉には少しも嫌な感じがしない。
高校時代、出合った頃からそうだった。
何でもソツ無くこなして鼻持ちなら無いはずなのに、嫌味な所が全く無い。
自分に対しては何も関心が無いような野崎の態度が心地よくて、まるで押しかけ女房のようにいつもくっついて回った。

そういう自分ばかりが野崎に寄り掛かってしまっている事をずっと申し訳なく思っていながらも、それでも信頼できる人間は他に居なくて、もう10年もこんな関係を続けさせてしまっている。
『なぁ聡示・・・ 』
『なんだ』
『お前、俺と居て・・・ 面倒くさくないか・・・』
『何だいまさら』
『こんなビョーキしてて、おかしいだろう・・・』
『お前は最初から面倒くさい奴なんだ』
そしてこの会話も、もう10年続けてきた。
素直に礼を言った事は一度も無くて、それを野崎が咎めた事も一度も無い。

『なぁ・・・ 』
『なんだ 』
『治ると思うか・・・?』
自分ではもう諦めてしまっているこの病気を、今日逢ったばかりの赤の他人が治るまで待つと言った。
何も言わず10年も隣に居た野崎でさえ、そんな事は言わなかった。
『俺のこの病気が・・・いつか 治ると思うか?』
『治したいなら治せばいい』
『・・・どういう意味だよ』
『治すつもりがあるなら、治るだろ』
意外だった・・・。
ずっと何も言わないのは、自分と同じように諦めてしまっているからだと思っていた・・・。
『そうなのか・・・?』
『知るか』
『そんな事一度も言わなかったじゃないか・・・』
『お前の体の事はお前が決めろ』
野崎自身は治るかもしれないと思っていながら・・・、
それでも、少しも治そうとしない自分の事を黙って見ていたのだろうか・・・?
それとも 自分以外の全ての人間には・・・、これは治る病だと思われているのだろうか。
『それより薬飲んだのか?』
『んぁ・・・』
『早く薬飲め。その前に食事しろ。どうせ何も食べてないんだろう、お前本気で死ぬぞ』
『分かってるよ・・・』
『・・・治すつもりがあるんなら、そのくらいちゃんとやれ』
ぶっきらぼうに言いながら、最後まで心配はしてくれる。
『分かったから・・・。もう寝ろよ。お前だって疲れたろ』
『あんまり余計なことは考えるな。眠れなくなるのがオチだ』
『分かったって・・・』
『じゃぁな』

ブツリと切れた受話器を置いて、真島はのろのろとキッチンへ向かった。
水しか入っていない冷蔵庫からペットボトルを取り出して、ヘンな味のする錠剤を3粒飲み込む。
「絶対効いてないだろ、これ・・・」
1か月分を受け取る度にうんざりして溜め息が出た。
この薬ともあの症状ともサッパリ別れられる日が来るなど考えた事も無かった。
もし本当にそんな日が来るなら・・・
そんな淡い期待を少しだけ胸の中に宿らせて、真島はベッドへ倒れこんだ。



◆=◆



それからというもの、資料室は更に出入りが激しくなった。
資料室へやってきてから4ヶ月。
あれから真島は喫煙ルームには行かなくなり、ランチも社食ではなく資料室の2人と部屋の中で摂るようになった。
まるで、深窓の令嬢のように籠もりきりになった真島の動く姿は 前よりも貴重なものになって、今日こそは接触を持とうと考える野次馬たちの小競り合いに拍車を掛けた。

「真島ちゃん・・・大丈夫・・・?」
マリちゃんが遠慮がちに真島の表情を伺う。
「んー?」
「真島さん、また少し・・・小さくなりましたよね・・・」
マリちゃんと目を合わせて頷いた水元が尻すぼみになりながら言った。

資料室が騒がしくなるのに反比例するように真島の覇気は損なわれていった。
蒸し暑い季節がやって来たのが追い討ちを掛けて、めっきり食欲も落ちている。

「これなら・・・ 夏が終われば戻るだろ?」
だらしなく椅子に座って窓の外を見ながら、真島は何とも無い風にさらっと答えた。
「その前にヘバっちゃうんじゃない?だって、どう見たって・・・ 痩せたというより・・・」
「・・・やつれてますよね・・・」
会社に居る間は少しも気が抜けず食欲も減り、殆ど仮眠に近い時間しか休めなくて疲れは蓄積される一方だった。
最初は手先や顔の周りがスッキリした程度だったその体も、今では腹や背中の辺りまでもが薄くなり始めている。
それなのに、憂いを宿したその表情はますます妖しい色気を感じさせて、当人としては不本意であろう 艶っぽさは更に凄みを増していた。

「・・・食欲無いから仕方ないだろう」
毎日 隣で口うるさく注意する人間が居なくなった分だけ真島の生活は乱れてしまった。
これではいけないとは思いながらも、日々 ピリピリと毛羽立ってばかりの神経を休める事で精一杯なのだ。
自分の体の事ではあっても、どうしてもそこまで手が回らない。
「でも何か食べないと良くないわよ・・・」
「真島さん、もともと食が細いから・・・ ジュースだったら飲めますか?僕、買ってきますよ?」
「いいんだ、二人とも。悪いね」
無用な心配を掛けてしまっている事を確認するたびに、また、胃がピリピリと軋む。
野崎以外の人間に気を遣われる事に慣れ切れないせいで、気が滅入る嫌な連鎖が起こっていた。

それに・・・・・・。

「もうすぐ、時間ですね」
「そうね」
浮き足立ったような二人の声に、真島はここ最近の日課になった深い溜め息をついた。
やがて、習慣付いてきたノック音がしてきて、それと同時に真島は灰皿を持って外へ出る。

甲斐が日参してくるのだ。
真島の生存をただ確認するようにやって来て、マリちゃんと水元の3人で談笑して帰って行く。
人当たりが良く人間も出来ている甲斐は、二人には盛大に歓迎された。
至って紳士的に振舞って 静かに帰っていく甲斐の人柄に 二人は心底 惚れ込んで、それを邪険にしている真島の方が責められるほどだった。

「何だよ・・・ 俺は悪くないだろ・・・」
木陰に入ったいつものベンチで、真島はひと時の安らぎをかみ締めた。
今以上に暑さが極まれば、ここで一服するのも厳しくなる。
名残惜しさを感じながら宙へ向かって煙を吐き出した。

「真島君・・・」
昼休み残り5分。
ごく稀に、甲斐は真島に話し掛けることがあった。
そして今日も・・・。
「・・・何度も言いました」
すげなく断る言葉を言い続けて、
「まだ、返事は良いから・・・」
それでも甲斐は待ち続ける。

「それより君・・・ すごく、痩せた・・・」
いつもなら黙って隣に座るはずの甲斐が、今日は後ろから真島の姿をじっと見ている。
「後ろからでも見られるのは嫌なんです。そこへ立ってるくらいなら、座ってもらえませんか」
いたく物悲しく聞こえた甲斐の声をもみ消すように、ガシガシとタバコを灰皿に押し付けた。
「真島君、そのままでは・・・ 君が壊れてしまう・・・」
何かを乞われているような声がして、さらに居たたまれなくなってしまう。
「・・・どうなろうと、あなたには関係ありません」
だからと言ってどうする事もできない苛立ちは募る一方だった。
「もう少し・・・ 大切にしてあげてくれないか・・・。そんな事をしていたら、君が・・・」
相変わらず腫れ物に触るような遠慮がちな声が、背中のすぐ近くに聞こえた。

「関係ないと言ってるんですっ」
真島は苛立ちに任せて勢い良く立ち上がった。
「・・・ッゥ」
と同時に、目の前がスッと暗くなって膝がガクっと折れてしまった。
「真島君っ!」
そのまま・・・
芝の上に倒れこむかと思った体は、咄嗟に駆け寄った甲斐の腕に支えられて無事だった。

「・・・大丈夫ですから、早く・・・離してください」
腕を退けようとする真島の体を甲斐は更に引き寄せた。
「立ちくらみがするほど弱っていて、これが大丈夫なものか!君は・・・、君は一体何を考えてるんだっ・・・! こんなに・・・っ、こんなに痩せてしまってっ!」
背中に添えた手と腕を掴んだ手で真島の質量を確認した甲斐は、目を合わせないように顔を伏せて唸るように叱咤した。
そうやって甲斐が掛け値なしに心配してくれていることも、わが身のように考えてくれていることも、真島は十分理解していた。
だからと言って、何かをどうにか変えて、それに応えることは出来なかった。
「・・・ご迷惑をお掛けしました」
ただ、申し訳ないという気持ちはだけは確かにあって、それだけは真摯な気持ちで伝えていた。
「仕事が終わったら、迎えに来る」
「・・・止めてください」
この会話も、真島の食が細くなった辺りから二人の間で何度か繰り返された事だった。
資料室の二人よりももっと早く、甲斐は真島の体の異変に気がついていたのだ。
「今日は・・・ 今日こそは送らせてもらう。こんな事では、私の方が参ってしまう・・・」
「・・・そういう事は、しないでくださ・・・」
「これでは野崎君にも申し訳が立たないだろう?」
それを言われると・・・ 真島は口を噤むしか無かった。
「待っているんだ。迎えに来る」
真島が自力で体を支えたのを見届けてから、甲斐は今日も静かにオフィスへ戻っていった。

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Comments

1文だけ・・
途中、追加させて頂きました・・・汗。
すみませんm(;▽;)m
Posted at 2009.06.07 (08:31) by 冬実 (URL) | [編集]
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