今夜、資料室で-7-

「真島さん・・・」
廊下には、マリちゃんと水元が真島が医務室から出てくるのを待っていた。
「初日から2回も医務室に付きあわせて 悪かった。・・・戻ろう。あの人とは、話は付いたから・・・」
「付いたって・・・、甲斐さんどうしたの?」
心配そうに医務室のドアへ目を向けるマリちゃんに、真島は 『問題ない』 と笑って見せた。
「仕事に戻るだけさ。だから俺達も戻ろう」
浮かない顔をしたままの二人を連れて、真島は資料室へ戻って行った。


「マリちゃん、窓開けるからここでタバコ吸っていい?」
終業まであと1時間足らずの資料室。
もうやることも無くなった3人は、お茶を飲みながら休憩をしていた。
「それなら脇のドアから外へ出られるから、ちょっと外の空気でも吸ってきたら?」
騒々しい1日を送って疲れた顔をした真島に、マリちゃんは優しい笑顔を向けてくれる。
「へぇ・・・・・・ 出られるのか。ここはいいなぁ・・・・・・」
灰皿を持って、真島は小さなドアを開けて外へ出た。

出てすぐ小さな道路を渡って、目の前にある若緑の木々に囲まれた公園のベンチに腰掛けた。
少し強めの風が吹いて、芝生に大きな帯が走る。
「いい風だ・・・」
1本目のタバコに火をつけて、胸いっぱいに煙を吸い込んだ。
「本当に・・・ 気持ちが良い・・・」
煙と一緒に吸い込んだ木々と土臭い葉の匂いを感じながら、真島は静かに目を閉じた。

いつも鈍よりとした閉塞感に包まれて どこへ行っても気が休まらず、神経をすり減らしてばかりの真島にとって、一人きり、無防備に外気に身を晒して落ち着ける場所は殆ど無かった。
こんな自分でも生きている心地がすると思えるこの場所で、真島は至福の時をかみ締めていた。

「こんなの 何年ぶりだ・・・」
もう一人では入れないだろう 狭く煙で霞む喫煙ルームより、この場所は数百倍もいい。
誰の目にも留まらず、静かに陽に当たって、風を感じて、それで十分だ。

そんな毎日が送れるなら・・・ 俺は一人でいい・・・・・・。
薄く微笑む作り物のように奇麗な横顔を、何度も風が撫でて行った。


気持ちの良い一服を終えて、2本目のタバコを取り出した時だった。
「真島さぁん」
小走りで水元がやって来た。
「あれ、もう時間だっけ?」
腕時計をかざした真島の腕を、水元が遠慮がちに掴んで下ろす。
「それが・・・ 甲斐さんが・・・」
そこまで言って口を濁した水元は、困った顔をして俯いた。
「来てるのか?」
掴まれた手をそっと退けながら真島が顔を見上げると、水元は小さく頷いた。
「今日は真島さんも大変だったし、遠慮してくださいって言ったんですけど・・・。どうしても、真島さんと話がしたいって・・・」
「・・・・・・何考えてるんだよ」
真島は大きな溜め息をついた。

僅かながらも良い気分に浸っていると、直ぐにまた嫌な問題が起こる。
いつもいつもそうだった。
皆が自分の事など忘れ去って未来永劫放っておいてくれればいい、何度そう思ってきたか分からない。
自分にはそんな大層な価値は全く無いというのに。

「すみません・・・」
落ち込んだ水元の腕を景気良くはたいて、真島は少しだけ笑って見せた。
「お前のせいじゃないさ、仕方ない。・・・あの人、こっちに呼んでくれないか」
「分かりました・・・。すぐ・・・ 呼んでも大丈夫ですか?」
「来るのが分かってるなら、そう簡単には倒れない。気にしなくていい」
また走って戻った水元の後姿を見送って、真島は新しいタバコに火を付けた。


やがて水元とは違うゆったりとした足音が聞こえてきて、真島の体は一斉に警戒体勢に入る。
「真島君・・・」
おそるおそる腫れ物に触るような声に、真島は至って事務的に背中で応えた。
「隣に座ってもらえませんか。同じ方向を向いて話すほうが、俺も楽です」
「分かった・・・」
一人分の間を空けて、甲斐はベンチに腰を下ろした。

「まだ からかい足りませんか」
甲斐が腰を下ろすなり、真島は冷たく言い放った。
「本当に、そんなつもりでは無かったんだ。知らなかったとは言え、君の気を悪くしてしまったのを謝りたい・・・」
「知ってても知らなくても関係ないでしょう。からかったんじゃ無いなら、あれが本気ならますます性質が悪いですね」
「その・・・ 君はもっと・・・」
「遊び回ってると思われてたわけだ。まぁ・・・ どう思われようが、どっちでも構いません」
「いや、そうでは無いんだ」
取り付く島も無いほど投げやりな真島の態度に焦れて、甲斐は思わず振り返った。
「こっちを見ないでください」
「あぁ、すまない・・・」
すごすごと正面を向きなおして、甲斐は少しずつ言葉を繋いだ。

「君が遊んでいると思っていたのでは無くて・・・。君だって、恋愛くらいすると思うだろう?君のような人を、決して周りは放ってはおかない。それなら・・・ そういう言葉のかけ引きくらい、いくらでもやって来たと思うのは、普通じゃないのか・・・?」
「かけ引き ですか・・・。誰の普通か知りませんが、俺には普通じゃありません」
「そう・・・、そうなんだ。医務室で話した時も感じた。君はその華やかな外見とは違っていて・・・。君が本当はそういう人なんだと知って、私は余計に、君の事が・・・」
嫌な方に話の矛先が向いて、真島は断ち切るように言い捨てた。
「応えられないと言いました。何度も言わせないでください」
「聞いて欲しいんだ。いますぐ何か答えが聞きたい訳じゃない。聞いてくれ」
尚も冷たくあしらう真島に、甲斐は声を強めて先を制した。
そんな甲斐に仕方なく口を噤んで、真島は溜め息をついてタバコを咥える。

「8年だ。君がここへ入ってきた年からずっと、私は君に心を奪われたまま8年待った」
「・・・だから俺は」
疲れたように漏らした真島の言葉は流して、甲斐はそのまま話を続けた。
「何度声を掛けようと思ったか知れない。でも出来なかった。分かるだろう?君の隣にはいつも野崎君が居て、誰も君には近づけなかった。私だってそうだ」
「何度も言いますが・・・」
「諦められない」
低く囁かれた甲斐の声は真島の中深く染み渡った。
どうにも苦しそうに紡ぎながらも 広い懐へ引き寄せるようなその声に、真島も眉間に深い皺を刻んだ。
いい加減な想いで求められている訳では無い事が分かってしまっただけに、簡単には言葉が返せない。

「待たせてくれないか。君の・・・ その病気が治るまで、君の事を・・・ 待たせてくれないか」
予想もしなかった甲斐の申し出に、真島は思わず振り返りそうになった体をベンチの縁を掴んで引き止めた。
理解できない甲斐の言葉に指先が震える。
「・・・何 言って、るんですか・・・」
待つ・・・・・・?
「病気が理由だと言うなら、完治するまで待たせてくれ。でなければ諦められない」
「・・・ 自分が一体何を言ってるのか、分かってるんですか」

10年付き合ってどうにもならなかった訳の分からないこの病気が、完治すると本気で思っているのだろうか?
治るかどうかも分からないおかしな病気を抱えた自分に付き合って、何年もの時間を労しようなどと、正気じゃない。
当の本人でさえ、そんな希望はとっくの昔に捨てている。

「生まれつきでは無いのだろう?治る可能性はあるはずだ」
動揺して思考が乱れ始めた真島とは対象的に、甲斐の声には何の躊躇も澱みもない。
「・・・止めてください」
こんな自分に付き合わせてしまうのは・・・、
「8年待ったのだから同じ事だ」
「・・・バカなこと言わないでください」
アイツだけで十分だっ・・・
「もう私は君を諦められない」
「止めてくれっ!」
灰皿にタバコを押しつぶして、真島は両膝に肘をついて頭を抱えた。

「・・・本当に、俺の事は・・・ 忘れてくれませんか・・・っ」
髪の間に両手を潜らせて、ぐしゃり と掻き毟る。
「そんな事が出来ているなら・・・ たった一人を8年も、待たないだろう・・・ ?」
苦笑して、少しだけ余裕を感じさせる甲斐に真島は余計に焦った。
この男は・・・ 本気で言っている。
本当に、自分を待つつもりでいる───。
「俺は、あなたには応えられない」
そんな事はしないでくれっ・・・
「私と顔を合わせて話が出来るようになったら、その時は私の目を見て、返事を聞かせて欲しい」
「だから、俺はっ・・・」
もう人を巻き込むのはゴメンだっ・・・
「そう決めたんだ。君の目を見て話ができるようになるまでは諦めない。時間を取らせて済まなかった、これで帰るよ」
体を折って頭を抱えたままの真島を残して、甲斐はビルへ戻って行った。

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