今夜、資料室で-2-

「・・・まぁ、頑張れよ」

午後の便で日本を離れる野崎を、真島は正面玄関から見送っていた。
「何度も言うが、仕事が終わったらさっさと帰れよ。効果が無いだの何だの言わず薬はちゃんと飲め。」
「・・・分かってるって」
「あんまり一人になるな。倒れる時は・・・せめて街中の往来にしろ」
「そんなの・・・ 自分でどうこう出来るかよ・・・」
「出来なくてもどうにかするんだよ。どうにもならないなら会社休め」
「・・・そのくらいで仕事を休めるか」
タクシーへ乗り込む直前まで、野崎は口うるさい母親のようにあれこれと言い残して行った。
「とにかく・・・半年後には一度帰る。それまでは生きてろ」
「・・・もう早く行けよ」
「じゃぁな」
野崎を乗せたタクシーが通りへ吸い込まれて行くのを見送って、真島はビルの中へ引き返した。

エレベーターへ乗り込んで、ドアが閉まった直後。
手前に乗り込んだ真島は奥に乗っていた人間と ばったり目が合った。
(マジかよ・・・)
4,5人が乗り込んだ狭い空間、エレベーターが動き出したと同時に背中を撫でられるような視線を感じてぞわぞわと全身の鳥肌が立った。
(カンベンしてくれ・・・・・・)
真島は思わず壁に手をついた。
肺にめいっぱい空気を吸い込んで乱れ始めた浅い呼吸を懸命に整える。
目を閉じて、深い息をすることだけに集中した。

こんな所でどうにかなってしまう訳にはいかない。

「大丈夫ですか?」
様子のおかしい真島を気にして、後ろから肩に手を掛けられた。
横から顔を覗き込まれそうになって、真島は思わず顔を背けた。
(コイツだ・・・)
「・・・大丈夫ですから」
声の主と視線の主は同じ男。
額に嫌な汗を滲ませながら、真島は必死に呼吸を整えた。
「具合、悪いんじゃないですか?」
猫なで声で、さも心配をしているようなそぶりを見せながら、肩に置かれた手は妙に意味有りげに動き回る。
(それ以上・・・俺に触るなっ・・・)
「いえ、本当に・・ 大丈夫ですから・・・」
壁についた手で拳を握り締めて、ドロドロと纏わりつくような気配を必死でやり過ごした。
「顔色が悪いですよ?」
(早くっ・・・)
「本当、に・・・」
肩で大きく息をしている所へ、ようやく小さな到着音がした。
(助かった・・・・・・)
真島は顔を俯けたままエレベーターから飛び出して、急いでトイレへ駆け込んだ。

コックを全開にしてジャバジャバ顔を洗う。
汗と一緒に嫌な感触を消してしまおうと、そこらじゅうに水しぶきを飛ばしながら何度も顔に水を浴びせた。
「・・・最悪だ」
普段は気にならなかったような僅かな視線も、野崎が居ないというだけで余計に強く感じてしまう。
一人になった真島はまるで半身を欠いたようにバランスを失っていた。
「いきなりかよ・・・」
この先の長い生活が思いやられて、真島は大きな溜め息をついた。

野崎が居なくなる事を、本当は心の底から怖がっていた。
自分がどうにかなってしまった時に、どんな時でも直ぐに駆けつけて見つけ出してくれる人間など、他にいるはずもない。
しかも問題はそれだけでは無かった。
野崎が居ないことで不安を募らせている精神状態が、いつにも増して症状を悪化させていた。
こんな状態の真島一人で、いつもの仕事が出来るはずも無かった。
「一体どうしろって言うんだ・・・」
真島はノロノロと襟元を正して、暗い表情をしたままデスクへ戻って行った。


デスクへ戻った真島はさっそく部長に呼ばれて、異動の件を聞かされた。
「紙は後で渡すことになるが、新しい配属先は・・・ 1階だ」
「1階・・・ですか?」
1階に受付以外の部署は何も無い。
真島は思わずオウム返しで返事をした。
「私としても君にはこのまま続けて欲しいんだが、上から再三言われて仕方が無かったんだよ・・・」
『自分にもまるで理由が分からない』 と言いながら、部長も困った顔をした。
「1階って・・・」
まさか男の自分を受付に置いて何のメリットも無いだろう。
「それが、資料室なんだが・・・」
「・・・資料室?」
そんな部署があったなんて聞いた事も無い。
真島は眉を顰めて首をかしげた。
「どうしても君をそこへ遣ってくれと言われて、いや・・・私も困ったんだが、上からの命令では何とも・・・」
「上からって・・・どこからですか?」
「いや、上の人間も 『上から』 としか言ってくれないんでね・・・」
上から・・・?

(聡示か・・・・・・)
そんな場所を選ぶのは野崎以外に考えられない。
「そうですか・・・。それで、異動はいつでしょう?」
真島は気を取り直して部長に向き直った。
「行けるなら今すぐ行ってくれないか。仕掛っている案件は?」
「今はありません」
「なら引継ぎの必要も無いだろう。向こうへは連絡が行ってる。残して行った物は他の誰かに整理させよう」
「分かりました・・・・。すぐ準備します」
不可解だという顔つきのままの部長へ一礼をして、真島はデスクの整理を始めた。

ざわざわと視線が向けられるのを感じながら誰とも目を合わせないようにして急いで片付けて、8年間通い続けたデスクを空にする。
「真島さん、異動するんですか?」
「急だけどね。お世話になりました」
割と仲の良かった気のいい同僚達に笑顔を返しながら、真島はダンボール1つ分の私物をまとめた。
「じゃぁ、自分はこれで失礼します。フロアは違うけど、別に会社を辞めるわけじゃ無いから」
「そうだけどさ・・・。野崎さんも居なくなったし、一気に寂しくなるよ・・・」
野崎と真島が居なくなるその部署はとても殺風景な場所に思われて、活気までもが失われてしまったようだった。
「直ぐ慣れますよ。じゃ、これで」
辺りの人間に向かって何度か頭を下げて、真島はフロアを後にした。

「資料室って何だよ・・・」
ダンボールを抱えながら、真島は1階まで階段を使って下りていった。
1階は、受付以外のスペースは全て資料室だった。
会社創設以来のありとあらゆる文書やデータが保存されている。
ただそこに部署を置いて管理しているとは聞かされていなかった。
「・・・聡示のヤツ何考えてるんだ」
ブツブツと独り言を言いながら、やがて目当てのドアの前に到着した。

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