今夜、資料室で-1-

中堅ゼネコン 「T&S企画」 の4F喫煙ルーム。
昼休み終わり間近の10数分を、タバコを吸わない野崎を真島が連れ立って訪れるのは入社以来の日課になっている。
二人が入ると周りの人間がざわざわと細波を立てて注目した。

凛々しく強い芯を感じさせながらも常に穏やかな空気を纏っている野崎と、まるで淡雪のような掴み所の無い艶っぽさを湛えた見目麗しい真島。
二人の立ち姿はどこにいても周囲の目を引いた。

しかし、二人の魅力は見場だけには留まらなかった。
将来を約束されながら実力も十分の野崎と、それを脇から常に影のように支える真島。
入社以来 地道に重ね上げられてきた二人の実績こそが、周りの人間に1目も2目も置かせていた。

「今日 辞令が下りた」
窓の外、手入れの行き届いた小さな公園を見下ろしながら野崎が言う。
「辞令?」
何度目かの煙を吐き出しながら、真島は野崎を振り返った。

真島がタバコを吸い始めたのは大学2年の頃。
上手く説明のつかない 「病気」 を発症したのと同時期だった。
朝晩服用する薬の嫌な味を忘れようと吸い始めて、それ以来 手放せなくなってしまった。

「シンガポールへ出向する」
「シンガポールって・・・ どれくらいだよ」
小さく息を呑んだ真島は野崎の声に耳をすませた。
「2年だ」
「・・・2年、か」
シンガポール支社への長期の出向が意味するところは野崎の栄転。
「ならお前、帰ってきたら・・・」
「・・・専務だ」
さして嬉しくもない様子で野崎は簡単に口にした。
真島も小さく 『そうか』 とだけ応えて、長くなった灰を落としながら大きく息を吐いた。

この会社へ入ることが決まった時から、それは約束されていた事だった。
そして真島を側に置く事も、いつか役付きになることと引き換えに野崎が条件として提示した事だった。
入社してもうすぐ9年目。
30になったばかりではあまりに早すぎるのではと思いながらも、野崎の将来性を考えればおかしくは無い話だった。

「いつから?」
「来週だ」
もう週半ば。
来週とは言ってもほんの数日後に迫っていた。
「・・・お前 大丈夫なのかよ」
「それはお前だろう」
下を向いたまま長い煙を吐き出す真島に野崎が目を向けた。
「一人になって大変な思いをするのは、お前の方だろう?」
真島は口を噤んでタバコの火を消した。

野崎が居なくなる。
それは真島にとっては死活問題だった。
例の 「病気」 で悩まされている真島にとって野崎は唯一の安全地帯。
それを無くして生活をしていくのは考えられない事だった。

「何とか・・・なるだろ」
「なるワケが無い。だったらお前、今から一人でやれるのか・・・?」
内心ひどく動揺している真島の事など見透かして、野崎は溜め息をつきながら言った。
「今度だけは一人で行くしかない。お前の事は言ってある」
「言ってあるって・・・何だよ」
「まさかバタバタ倒れながら数時間おきに医務室に寝てるわけにもいかないだろう?」
真面目な顔をして覗き込まれると、真島は言葉に詰まってぐっと顎を引いた。
そうなってしまう自分の姿がまざまざと目に浮かんでしまう・・・。
「・・・うるさいな」
「心配してやってるんだ」
その言葉のとおり含みない声で言われると、ますます居たたまれなくなる。
「もう時間だろ。戻る」
野崎を置き去りにするように、真島は喫煙ルームを後にした。


小さい頃から人気者だった真島は交友関係が広かった。
それに比例するように、まるで真島を取り合うように取り囲んでいた友人達の間で諍いの種になってしまう事も多く、自分の知らない所で大きな問題が起こっていた事を後から知らされる事も一度や二度では無かった。
決して自分の本意では無いのに、自分の取る行動や話す言葉一つで仲の良かった友達同士を仲違いをさせてしまったりした。
女性からばかりでなく男性からも沢山の好意の目を向けられている事を知っていた真島は、そういう自分を疎ましく思いながら生活していた。

大学2年の夏。
真島に好意を寄せていた友人と先輩がとうとう殴り合いの喧嘩をして、片方は命の危機に晒されるほど大きな痛手を負ってしまった。
ちょうどその事件を目の当たりにした真島はその場で気を失って倒れたまま、数日間眠り続けた。

そしてその事件が引き金になって、真島はおかしな病気を発症してしまった。

自分に好意を持っている人間と目を合わせていると、数分と持たずに気を失ってしまう。
そういう目で自分を見ている人間はすぐにピンと来て、じわじわと背中から嫌な感覚に包まれたかと思った次の瞬間にはベッドで目が覚めるのだ。


それからだった。
効果の見えない薬の味を紛らわす為にタバコを吸い始め、野崎以外の人間とは接触を絶ち、近寄ってくる人間には酷く冷たく当たって蹴散らしていった。
そうすることでしか自分の身を守る事が出来ないし、それ以上の周りの被害が出る事も避ける方法がなかった。


「お前も異動になる」
後ろから追いついた野崎が真島にだけ聞こえるように小さく言った。
「異動?」
「あの部署じゃ無理だろう」
同じ部署にはその症状を起こさせてしまうだろう人間が既に何人か居た。
「じゃぁどこなら大丈夫なんだよ・・・」
そんな部署は思い当たらなかった。

どこへ行っても感じてしまう。
女だろうが男だろうが、見られていれば直ぐに分かった。
自分の存在をやたらと押し付けるようにアピールする女の視線も、指の先から嘗め回されるような男の視線も、何とも言えない不快感を感じた。
目を合わせることさえしなければ業務に差し支えは無いが、それは何かと野崎が気を利かせてくれていたから大丈夫だっただけで、これから何もかも一人でやるには問題が多すぎる。

例えばったり倒れてしまったとしても、これまでなら野崎が直ぐに駆けつけて安全な所へ運んでくれていた。
それをこれからどうやって───。

「とにかく、お前辞めるなよ。ここへ入社させたのはお前なんだから、最後まで責任取れ」
「・・・分かってるよ」
高校時代、将来の入社を請われて渋っていた野崎を説得したのも真島だった。
『一緒に行ってやる』 と豪語して、高校から大学、そして今日までずっと行動を共にしてきた。
「年に何度かは戻って来る。とりあえず・・・2年は踏ん張れ・・・」
野崎に背中を押されながら、真島は重い足取りでデスクへ向かった。

2年。
簡単に口にされても、真島にとっては気が遠くなるほど長い時間。
どうやったら乗り切れるのか、考えただけでも眩暈がしてしまいそうだった。

目次へ...

Leave a comment

Private :

Comments

- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
12 02