天の川のむこう-60-

「どれだけ心配したと思ってるんだ、上総ッ」
用意された広く豪奢な部屋へ入るなり、野崎は上総を力いっぱい抱きしめた。
一線を越えてしまう前に助け出す事ができたとは言っても、あんな姿にされている所を見てしまっては
少しも穏やかでは居られない。
「ごめんなさい、聡示さん」
上総は野崎のシャツの胸元をギュっと握り締めて額を擦り付けるようにして顔を伏せている。
「僕より高居を信じるなんて、どうかしてる」
最初から自分が言うとおりにしてくれていたなら、こんな事にはならなかったはずだった。
一体何がどうなったのか 全てを聞き出すまでは、完全に胸を撫で下ろす気にはなれない。
「上総、とりあえずシャワー」
「ぇ・・・」
「高居が触れてた」
上総の手首をがっしり掴んで、野崎は早足でバスルームへ向かった。

上総の髪を大きな泡で包みこんで、野崎は丹念に洗い上げていった。
高居の気配が1つ残らず消えてしまうように何度も指を潜らせながら、指先で上総の存在を確かめる。

・・・ようやく、取り戻した。
静かに目を閉じて身を任せている この小さな存在の中には、まだ自分の知らないとてつもなく広い世界があるのかもしれない。
それを測り損ねて・・・ こんなことになってしまったのだろうか。

泡を洗い流してコンディショナーを馴染ませる。
顔に張り付いた髪をかき上げる様に梳いているうちに姿を現した その天使のような面差しに、野崎は吸い込まれるように唇を重ねた。
柔らかい弾力を少しだけ確かめて、名残惜しさと共に重ね合わせた唇を離す。
「上総が 本気で別れたいだなんて、言うはずがないと僕は信じてた」
さっと髪を洗い流して頬に手を添えると、長い睫を震わせながら上総の目が開かれた。
『ごめんなさい・・・』
そう、言っているのが 分かる。
上総の唇がその言葉を結ぼうと動きかけたところへ指を当てて、野崎はその先を呑み込ませた。
「だけど・・・僕がどれだけ手を尽くしても、上総が本当に諦めてしまったら・・・終わってしまうんだ」
違う方を向いていることに慣れてしまうと それがいつの間にか自然なことになって
終には完全に修復できなくなってしまうことだってある。
「何があっても 『さよなら』 なんて、二度と言うんじゃない。 『さよなら』 なんて・・・ 僕を一人にしてしまうなんて、あんまりだろう・・・?」
指に触れる唇が震え始めたと同時に上総が頷いた振動で、ぽろりと涙がこぼれていった。
野崎は添えていた指で涙に濡れ始めた上総の目元を拭った。
「はい・・・聡示さん・・・」
頼りない声で応えて、上総は少しだけ笑顔を見せた。
「体、洗ってあげるから。上総に触れて良いのは僕だけだ」
嫌味のようにこんもりと泡の山を作って、野崎は上総の体を清めていった。
他の人間が触れた痕など微塵も残さないように。


「あの雑誌を・・・お兄ちゃんに見せられたんです。女の人の証言がたくさんあって・・・」

バスローブに身を包んだ野崎と上総は、ゆったりとしたアンティークのソファーに身を寄せて座った。
上総の肩をしっかりと抱き寄せて、野崎は上総の話に耳を傾けていた。
「上総、あれは・・・」
「そうじゃないんです。あれは・・・関係ないんです。そうじゃ、なくて・・・」
記事に証言を寄せた女達の事を明かそうとした野崎を、上総が首を振って制止する。
「聡示さんは会長の親戚に当たる人だって聞きました。だからいつか・・・後を継がないといけないって・・・。 その為には、それに相応しい人と・・・結婚しないといけないから、 だから僕は・・・あの雑誌に載ってた女の人達と同じように、それまでの関係でしか居られないって・・・」
「結婚・・・?」
おいおい何のことだ。
「どんなに頑張っても・・・僕では聡示さんとは釣り合わないって思ったんです・・・。それに・・・男の僕が側にいたら、聡示さんにキズが付いてしまうって言われて・・・。僕には聡示さんとずっと一緒に居られるような・・・そういう価値も、無いから・・・」
「価値・・・キズって、上総・・・」
全く・・・あのガキはとんでも無いことを吹き込んでくれる・・・。
どれも いかにも正論のようで、実は高居がいいように作り上げた馬鹿げた話だ。
そんな事を言えば、上総が酷く傷ついてしまう事も分かっていただろうに
上総を手に入れる為なら、それすらも厭わないつもりだったのか・・・。

「僕は幸せになって欲しかったんです、聡示さんに・・・。もし短い間しか側にいられなくても、誰か別の人と居るようになっても、ずっと幸せでいて欲しいって、言ったんです・・・。 そしたらお兄ちゃんが・・・その為には、僕が聡示さんを忘れてあげるしかないって・・・」
「・・・何て奴だ」
高居という男、聞けば聞くほど陰気な遣り方をする。
てっぷりと腹を出したどこかの金持ちの愛人よろしく、静かに身を引く術を伝授するつもりでもいたのか。
しかし・・・
これだけの事を並べられてしまっては、上総の思考をそこへ導くのは容易だったかもしれない・・・。

上総は野崎の腿に両の手のひらを乗せてうな垂れた。
「だから僕、忘れようって頑張りました・・・。どれだけ時間を掛けてでも忘れて、ちゃんと聡示さんを・・・自由にしてあげないといけないと思ったから・・・。それなのに、それが出来なくて・・・。僕に唯一出来ることで、幸せになってもらえる方法は もうそれしか無いと思ってたのに、それも・・・できなかったんです・・・」
「上総・・・」
騙されていたとは言え 痛ましいほどに健気な上総の様子に、野崎の胸はギュっと締め付けられた。
上総の体を引き寄せて、両手でしっかりと抱きしめる。
「聡示さんの事が本当に好きなら、できるって言われました・・・。僕は・・・聡示さんが大好きだから、絶対やらなくちゃいけないと、思って・・・・・・。でもすごく辛かったんです・・・ もう耐えられなくて・・・」
声の端に涙を滲ませながら、上総は野崎の胸元に額を擦り付けた。
そうまで思いつめていた上総のやるせない心を思うと、抱きしめる腕にも知らずに力が入ってしまう。
「だったら・・・・・ 今朝だって、そんな思いをしてまで帰らなくても良かったじゃないか・・・」
心もすっかり傷ついていただろうに、なにもあんな状態の体で帰らなくても・・・・・・。
足止めのつもりだったとは言え、随分手酷く抱いてしまった。
「約束を・・・ 守らないといけなかったから・・・」
「約束?」
「今日の・・・観測の約束です。僕、断るつもりでした。でも、お兄ちゃんがあの写真を買い取る代わりに一緒に行ってくれって、そう言われて・・・。あんな迷惑を掛けたって思ったら、断れなかったんです・・・・・・」
「全く・・・・・・ 参った・・・」
しかし 本当に・・・。
自分も上総も随分イイように高居に翻弄されてしまった・・・。
認めるのは悔しいが、敵もさるモノだったというわけだ。

が・・・

「どうして高居の言うことなんて信じたんだ。僕に言ってくれたらそれで済んだだろう?」
高居の言う事は無条件に聞いておいて、なぜこちらには何の相談もよこさなかったのか。
思えば最初から上総は高居の肩をもつようなことをしていた。
いつもなら先に折れて何でも聞き入れるはずの上総が、あれだけ言っておいたにも関わらず・・・。
「上総?」
上総は苦い顔をして、どこか居心地の悪そうな素振りを見せた。
「僕と・・・聡示さんは・・・違う、から・・・」
「え?」
上総の言葉に、野崎の中で大きな何かが弾ける音がした。
「お兄ちゃんとは・・・ 感覚が同じなんですけど、聡示さんとは色んな事が・・・ 違うと思うんです」
「違う・・・?」

『違う』
その言葉に、野崎はハッとした。
自分との間に線を引いてくっきりと隔てるようなその短い単語に、これまで感じていた 上総との間に築かれている 『壁』 の正体を終に見つけた出していた。

「僕は・・・僕やお兄ちゃんはすごく普通、なんです。僕はどこにでもいるただの大学生で、頭も特別良いわけじゃないし、普通の家に生まれて育って、どこにでもあるような、よくある人生を送って来ました。でも聡示さんは・・・まだ若いのに大きな会社の専務で、育ちだって良くて、それにすごく・・・かっこよくて。 なんていうか・・・成功するために、選ばれたような人、だから・・・」

あの嫌な感じの正体は、これだったのか・・・・・・!

自分に対する敬語が一向に抜け切らないところや、いつまでも余所余所しさを感じさせられる態度にも、その片鱗を感じていた。
それは決して自分に対する敬いの念から出た所作だけでは無かった。
上総自身が 『違う』 『違う』 と頭の中で繰り返しているうちに、些細な態度にも染み出していたのだろう。
本人も知らない間に、こちらが感じ取ってしまうほどの大きな 『壁』 を作り上げてしまっている。
歳が違う。
境遇が違う。
育ちが違う。
成りが違う。
・・・・・・それが一体どうした。

「・・・上総は大事なことを忘れてる」
「ぇ・・・?」
野崎は上総の体を離して正面から目を合わせた。
「ちゃんと思い出すんだ、僕が初めて上総に 気持ちを伝えた時のこと・・・・・・」
もう乾ききった上総の髪を梳きながら、野崎は語り掛けるように言葉を繋いだ。
「あの時 上総は僕のことなんて何も知らなかった。上総の中の僕は、何の肩書きも後ろ盾も持ってなかった。あの店にやって来る、ただの客だったろう?
それでも上総は・・・僕を好きになったんだ・・・。僕が上総を好きになったのと、同じように・・・・・・」
「同じ、ように・・・」
「そう。だったらそんなものは関係ないだろう? 何の障害にも、ならないはずなんだ。その気持ちさえ見失わなければ、何も・・・」
そう言って、野崎は上総の胸をトンと指先で突いた。
「聡示さん・・・」
どうにもならないものを違う違うと言ったところで、それが埋められるわけじゃなし。
だいたい、自分とソックリの人間に惹かれて心を奪われるなどあり得ない。

「もう止そう。上総がどうしてあんなことを言い出したのかも分かったし、辛い思いをしていたのも分かったから・・・」
そう言って、野崎は席を立った。
ジャケットの内ポケットに忍ばせていた小箱を取り出して、上総の隣へ戻る。
「ずっと側にいるつもりで贈ったんだって ちゃんと言ったのに、忘れるなんて・・・」
箱の中から取り出したリングを、野崎は上総の左手の薬指に滑らせた。
その手をしっかりと取って、上総の体を膝の上に引き上げる。
向かい合わせになった上総の腰を野崎は更に抱き寄せた。
「もう二度と他のヤツに触らせたりするんじゃない。上総は僕のもの。僕も・・・上総のものだ」
「・・・はい・・・」
にっこり微笑む上総の顔に、あの夢見るような淡い表情が戻った。

「分かったら・・・ 『おはようのキス』 して」
さて・・・。
今の上総はどのくらい僕の事を・・・。
「目を・・・、閉じてください・・・」
上総の声と同時に目を閉じて、野崎は期待に胸を膨らませながら柔らかい感触が来るのを待った。

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