天の川のむこう-54-

「ッう・・・」
野崎がシャワーを浴びている間に目を覚ました上総は、マンションを出て直ぐタクシーを拾っていた。
重く痛みの残る体では、階段を何度も上り下りして電車を乗り継げそうには無かった。
「君、具合でも悪いんじゃないの?」
気になった運転手がバックミラー越しに声を掛けてくる。
車内に乗り込むなり座席に手をついて小さな呻きを零しながら、青ざめた顔をしている様子は明らかに只事ではない。
「大丈夫、ですから・・・」
道路の段差から生まれる小さな振動にも体は反応して、ビリビリと電流が流れるような刺激が腰の奥から突き上げてくる。
「大丈夫って・・・」
汗を滲ませた険しい顔で俯いている姿では、何の説得力も無い。
まだ、涙の痕さえ残っている。
「それならいいケドさ、・・・ここで倒れたりしないでよ?」
「すみません・・・」
面倒な客を乗せてしまったと背中で語る運転手に、上総は小さく謝罪した。

一度だけ窓の外に目を遣って、後ろの方に消えかけているマンションを振り返る。

どうやっても帰してくれそうになかった。
逃げ出してでも帰らなければ高居との約束が守れない。
野崎との事をずっと気に掛けて今日まで何かと支えになってくれている。
自分達のあんな写真のせいで迷惑を掛けてしまった高居を、裏切るようなことはできなかった。

それに・・・。
これで、良かったのかもしれない。
あれ以上優しくされたらもう自分の気持ちを抑えられそうになかった。
繰り返し囁かれる甘い愛の言葉と、抱きしめてくれる腕の中のぬくもり。
大好きな柔らかい声・・・。
抱き返してしまいそうになる腕を何度も引き戻して、名前を呼ばずにいるのでさえも必死だった。

これで嫌ってくれるなら その方がいい。
本気で嫌がったなら、抱きしめられる腕も振り払えたかもしれないのに出来なかった。
結局あのまま最後まで・・・ 乱暴にされてしまったけれど・・・。
力任せに酷く揺らされているうちに、確かに欲しがってくれていた事実が痛みに変わって、
ずっと消えずに体の中に残ってくれたなら・・・、そんな事さえ考えていた。

嫌ってくれたらいい。
それで幸せになってくれるなら・・・。
だってもう 絶対に、自分から忘れてあげることなんて出来ない・・・。

「お客さん、この辺り?」
「あ、はい・・・ありがとう・・ございました・・・」
自宅の前まで付けてもらって、上総は支払いを済ませてタクシーを降りた。

「っツ・・・」
振動を抑えるようにゆっくり歩いて、明りの消えた家の中を音を立てないように浴室へ向かう。
重い体にもたつきながら服を脱ぎ捨てているうちに、後ろに嫌な感覚がして慌ててシャワーの湯の中に飛び込んだ。

「ぁ・・・」
肩から落ちるシャワーの雫に混ざって野崎の名残りが流されていく・・・・・・。
排水溝へ吸い込まれていくのを見送りながら、初めて経験する物寂しさを噛み締めた。
「聡示さん・・・」
熱くて甘い交わりの後、上総の体を清めるのはいつも野崎だった。
壊れ物を扱うようにそっと触れてくる大きな手のひらが、体の隅々まできれいにしてくれた。
あの声で何度も名前を呼びながら、野崎を迎え入れた奥の方までも、優しく・・・
「聡示・・・さん・・・」
あんなに酷くされたのに・・・ 前よりもっと、恋しくなってしまった。
こんなんじゃ絶望的だ・・・・・・。だってもう、僕は・・・
「聡示さんじゃないと・・・」
上総は頭からシャワーの下に入り込んで、溢れ出た涙を一緒に洗い流した。



ぽっかりと空いた空洞のようなリビングに一人。
上総を探して戻った状態のまま野崎はソファーに腰掛けていた。
「どうして何も・・・何も、言ってくれない・・・」
独り言のようにその言葉を繰り返しているうちに、すっかり陽も高くなってしまった。

今日 7年越しの約束を果たすのなら、今度こそ高居は上総を手に入れるつもりだろう。
それまでには何としてでも、どんな手を使ってでも上総を取り戻さなくてはならない。
絶対にこの手に取り戻して、どこかへ閉じ込めてしまってでも 二度と高居なんかの手には触れさせない。

そうは思っているものの・・・
「もしかして・・・上総は本当に・・・」
そんなことまでもが頭に浮かび始めていた。
上総が言ったことを繋げると、全てつじつまが合ってしまうのだ。
上総は高居を好きになった。
だから自分に別れを告げた。
そして例の約束を守るために帰っていった。
高居と会うためだけに、あんな体で無理をしてまでも・・・。
  『最後には、カズは絶対に僕を選びますよ』
「そう・・・なのか・・・・?」
自分ではなく、高居を選んだ?
上総の中では、もう終わってしまったことなんだろうか・・・。
上総の心は・・・本当に・・・・・・?

「違うだろうっ」
知らずに弱気なことを考えてしまう自分自身に喝を入れるように、野崎はソファーを殴りつけた。
それだけでは収まりがつかずに、目の前のテーブルまで勢いよく蹴りつける。
「クソッ・・・!」
ガタガタと音を立てて揺れ続けるテーブルを見ながら・・・・・・、終いには大きな溜め息が出る。
万策尽き果てたとは将にこのこと。
どれだけ言葉を尽くしても、最後まで心を開いてはくれなかった。
足止めにするつもりが ただ いたずらに傷つけてしまう結果になって、当の上総は気を失うほどの痛みを抱えたまま帰って行った。
電話をしたところで・・・ もう出るつもりもないだろう。

それに・・・
上総を取り戻しただけでは事は済まない。
何がそこまで追い詰めているのかを突き止めない限り、上総が心を開いてくれないままでは、結局は昨夜と同じことの繰り返しになってしまう。
本人の口から聞き出すことができない今、それをどうやって探し出せばいいのか。
手掛かりになるものは、まだ何も掴めてはいない。

上総が目覚めるまで側についていてやらなかった事が、今更ながら悔やまれる・・・。
じりじりと焦りは募り時間ばかりが過ぎて行った。

「どうやって・・・」
高居の行動記録も上総の行動記録も、これと言って目を引くものは無い。
もとはと言えば、上総が無事に家に帰り着くことを確認するために雇ったもの。
例え二人が会っていた事が分かったところで、その会話の一部始終を聞けるわけではないのだからあまり意味は無い。
「どこかに手掛かりが・・・」
どこかに、何か・・・。
どうにも落ち着いていられずに、野崎はとうとう立ち上がって歩き回り始めた。
歩いてはソファーに腰掛けて、また立ち上がり、歩き回りながら考えあぐねて、またソファーに腰掛ける。
そうやって何時間かが過ぎた頃だった。

突然、インターホンが けたたましく連打された。
モニターで確認すると
「おいバカ聡示、開けろっ!早く!」
真島が藤堂を連れていた。
インターホン越しにロックを解除して玄関まで歩いていくと、着いたと同時に勢い良くドアが開かれる。
「シュガーちゃん、ここに居るのかっ?」
階段を使って上ったらしい真島が息を切らして飛び込んできた。
すぐに藤堂が後ろから顔を覗かせる。
「いや・・・何があった」
首を振った野崎の反応を見た真島の表情が一段と険しくなった。
「確かなことはまだ分からないが・・・ あの子は高居に脅されてるかもれない」
頷き返す藤堂を見て、野崎は急いで二人をリビングへ通した。

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