天の川のむこう-52-

「上総・・・」
強張ったままの体を抱き寄せてみても、上総は何も反応しない。
ただ、短く途切れ途切れに聞こえる小さな息遣いが、上総が泣いていることを伝えるだけだった。
何がそんなに上総を苦しめているのか、
どうして一人だけ苦しんだままどこかへ行ってしまおうとするのか・・・。

野崎は上総の背を撫で下ろしながら静かに声を掛けた。
「僕はまだ・・・ 上総が本気で別れたいだなんて言うはずがないと思ってる・・・」
上総の心は、まだ自分の元にあるはず。
高居が何かを吹き込んで上総の心を惑わせてしまっただけ。
あれは、決して上総の本心ではない。

野崎は上総の耳元に唇を寄せて、奥のほうで小さくなっている上総の心へ訴えた。
「上総は本当に 二度と僕に逢えなくなっても・・・ 平気なの・・・?」
そんな日々に、耐えられる・・・ ?
「僕は嫌だ・・・ 耐えられない・・・」
野崎は甘い香りのする上総の髪に静かに頬を寄せた。
「愛してるんだ、上総・・・ 」

やがて 抱きしめていた細い肩が不規則に揺れ出して、上総の泣き声が漏れ始めた。



平気なんかじゃない・・・・・・。
上総は野崎の背を抱きしめてしまいそうになる手を懸命に膝の上に押し付けていた。
今だって毎日のように 泣いてしまうし、何をしていても思い出してしまう・・・。

誰にも変えられない人を失う痛みは身を裂くほどに強烈で耐え難いものだった。
どんなに好きだったのかを思い知らされる毎日は、1秒が1日にも1年にも感じるほど長く苦しい。
好きだからこそ どんなことでもやってあげられると思っていたのに、その苦しさと痛みに呆気なく音を上げてしまいそうになる。

だからこそ・・・
こうやって、背を伝う手のひらの優しさと、包み込まれる胸の中の温かさを感じていると、
ずっとこうして居られるなら もうそれで良いと思いそうになるから・・・。

だから もう止めて 聡示さん・・・。
これ以上優しくされたら ほんとうに、一生・・・忘れられなくなってしまう。
優しい声も愛の言葉も、もういらない。
それを受けていいのは・・・ 聡示さんの愛を受けて良いのは 僕じゃない。
側に居ていいのは 僕じゃない・・・。

まだ二人の間に可能性を感じさせてしまっているのなら 今度こそ
未練なんて微塵も残らないように、もう一度───。

新たな決別を伝えるために、上総は野崎の胸を両手でぐぅと押しのけた。



距離を取って目が合った野崎の表情は苦しく歪んでいて、上総の胸に新たな痛みが込み上げた。
「金曜日、何かあったんじゃない?」
静かに語り掛けてくる声は、柔らかく上総の心に寄り添った。
閉じた心の扉の隙間に心地よい温もりを与えて溶かそうとする。
そんな声で・・・ 聡示さん・・・。
何か言葉を発してしまったら、なにか余計な事を言ってしまいそうで怖くて、上総はただ首を振って応えた。
焦れるほどに頑なな上総の態度に、野崎は肩と落として大きな溜め息をついた。
「本当の事を言って欲しいだけなんだ。あの日、何があった・・・?」
背中を抱いていた腕に肩を掴まれて、小さく揺すられる。
「高居に何か言われた?」
何度同じ事を聞かれても、上総はただ首を横に振って応えた。

俯いて、じっと見下ろされる視線を感じながら、上総は消えそうな声で訴えた。
「もう・・・ 帰りたい、です・・・ 」
ゆっくりと閉じられた上総の目からボトボトと涙がこぼれていった。
それを見た野崎の眉がぐっと寄って、上総の肩を掴む両手に力が込められる。
「何があったのか、話して、上総」
「何も・・・ 」
「上総、本当のこと・・・」
「何もっ・・・、 何もっ・・・、ないんです・・・っ」
「上総・・・ どうして」
涙声で応えながら首を横に振り続ける上総と 同じ問いを繰り返す野崎の間に、焦れるような沈黙が生まれる。


「だったら・・・」
野崎は右手を上総の頬に添えて上を向かせた。
「どうして僕と別れたいのか聞かせて」
柔らかかった野崎の雰囲気がいきなり緊迫したものに姿を変えて、上総ににじり寄ってきた。
「え・・・」
「何があったのか、そこまで言いたくないのなら仕方が無い。それでも別れる理由くらいはあるだろう?」
肩と頬に当てられただけの野崎の手が、まるで頑丈な拘束具のように感じてしまう。
「僕が納得できるだけの理由を聞かせて」
頬に当てられた手がぐっと顔を持ち上げて、ぴたりと視線を合わせられた。
  『野崎さんの為に別れたなんて言ったらかえって心配掛けるし、野崎さんがもっと傷付くかもしれない・・・』
上総は僅かに首を横に振って答えた。
「理由まで言えないのはおかしいんじゃない?」
「それ、は・・・」
どこまでも追求するような鋭い視線で見下ろされて、例えようも無い息苦しさに襲われた。
野崎の冷静な態度に恐怖さえ感じてしまう。
  『【さよなら】 だけじゃ・・・野崎さん、いつまで経ってもカズのこと引きずって、忘れられないよ』
「それともただの冗談?」
「違いますっ・・・」
「だったら言うんだ」
「その・・・っ」
肩を掴んでいた野崎の手が上総の手首を引っ張り上げて、体ごと野崎の方へ向けさせられる。
頬に添えられていた手が顎をグイと掴んで固定された。
それはもう尋問と同じだった。
  『それが理由なら野崎さんもあっさり諦めてくれると思う』
「どうして僕と別れたい?」
「僕は・・・そのっ、・・・」
「だんまりも いい加減にするんだ」
「それはっ・・・」
有無を言わさぬ野崎の態度が、上総からことごとく逃げ場を取り去っていく。
段々と声を荒げる野崎の勢いにつられるように、気持ちが急かされてしまう。
  『せっかくもう少しで野崎さんが幸せになれるところなんだからさ』
「やっぱりただの冗談?」
薄ら笑いを浮かべた野崎の表情は背筋がぞくりとするほど冷ややかで、上総の焦りを煽るように挑発した。
「違い、ますっ・・・」
怖さと焦りと緊張でドクドク跳ね続ける鼓動の苦しさと必死に戦いながら、上総は考えを巡らせた。
  『カズの好きにしたらいい。でも本当に 僕はいつでも構わないよ。それだけは覚えてて』
「本当は理由なんて無かったりしてね。だから言えないんだろう?」
鼻で笑うような言い方をする野崎に、上総は思わず勢いで答えていた。
「理由ならっ・・・ありますっ・・・」
その瞬間、野崎の目の奥がキラリと光った。
「あるんだ・・・・・・。 聞かせてよ、その理由」
  『逃げ道がなくてどうしようもなくなった時に、僕の名前が使えるっていうこと』
「理由、は・・・っ」
野崎は手首をぐっと引き寄せて、上総に顔を近づけた。
「理由なんてないんだろう?だから言えない」
いっそう鋭くなった野崎の視線に突き刺されながら、上総はとうとう口にした。

「好きな・・・人、が・・・できて・・・」
「何だって?」
その瞬間。
冷ややかに細められた野崎の視線が、まるで氷の杭のように形を変えて、いくつも上総の胸を抉っていった。
爪が食い込む程に手首を握りしめられる。
「っ痛っ・・・」
「誰だ」
腹の奥まで響くような太く低い声で詰め寄られて、上総は畏れのあまり思わず後ろへ身を引いた。
「・・・高居?」
野崎の覇気に気圧されて、怖くなった上総は震えるように頷いて答えた。
「嘘をつくんじゃない」
「嘘・・・じゃ、ない・・・」
上総が答えたと同時に、顎を掴んでいた野崎の手が膝の裏に潜り込んで、立ち上がった野崎と一緒に上総の体がふわりと浮き上がった。
「ゃっ・・・なにっ・・・」
慌ててソファーに戻ろうと暴れ出した上総の体を押さえつけて、野崎は大股でリビングを横切っていった。
「嘘をつくな」
歩きながらも問いただされて、上総はただ弱々しく首を振って答えた。
「・・・そんなことは絶対に許さない 」
寝室へ入った野崎は荒々しくベッドの上に上総を投げ下ろして、その上にしっかりと体重を掛けて重なった。

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