天の川のむこう-46-

ポケットから携帯を取り出すと
「聡示・・さん・・・」
野崎からの電話の着信だった。
「こんな朝早くから電話してくるんなんて・・・。やっぱり、野崎さんまだ納得がいかないんだと思う」
静かに言って、高居は溜め息をついた。
「そんなこと・・・言われても・・・」
上総は手の中で振動を続けている携帯を見つめた。

自分だってこれから時間を掛けて心の中を整理していかなければいけないのに・・・。
今はそれで精一杯・・・。
「このままだと、ずっと野崎さんから連絡が来るんじゃないかな・・・」
いつの間にか車は家のすぐ手前に横付けにされていて、サイドブレーキを引いた高居は上総と同じように 振動している携帯を見ていた。
「急いでもどうにかなる事じゃないとは思うけど・・・、このままだと、いつまで経っても二人は辛い思いをしたままだと思ったから」
穏やかにゆっくりと紡がれた高居の言葉はとても柔らかく上総に響いて、昨夜からずっと気遣ってくれていた高居の誠意が満ち満ちていた。
「ありがとう、お兄ちゃん・・・」
でも───。
「でも、やっぱりそういうのは・・・。本当の理由は言えないかもしれないけど、僕は聡示さんの事が嫌いで別れたわけじゃないから・・・」
自分の気持ちにまで嘘をついてしまうくらいなら、どれだけ時間が掛かってもそれを待っている方がずっといい・・・。

「そんなに嘘をつくのが嫌?」
「嫌っていうか・・・」
「たくさん辛い思いをしてでも・・・野崎さんを幸せにしてあげるんじゃなかったの?」
「そうだけど・・・。でも、やっぱり僕が好きなのは・・・聡示さんだから・・・」
上総の言葉に高居が苦笑した。
「カズは本当に・・・。まぁしばらくは居留守でも使ったらいいよ。今は電話に出たって話なんてできないだろうし」
「・・・・うん」
「でも頭の片隅で覚えていて欲しいんだ。逃げ道がなくてどうしようもなくなった時に、僕の名前が使えるっていうこと」
高居が上総の頭に手のひらを載せた。
「でもお兄ちゃんそれは・・・」
「本当に困った時。それとも、フリだけでも僕が彼氏じゃ不満?」
子供のような微笑みを浮かべた高居に、上総は首を大きく横に振って答えた。
「ううん、違う。ここまで考えてくれるのは本当に嬉しいんだ。お兄ちゃんが嫌とかじゃなくて、僕は・・・」
聡示さんが好きなだけ・・・。
「カズの好きにしたらいい。でも本当に 僕はいつでも構わないよ。それだけは覚えてて」
「うん・・・ありがとう・・・」
高居に礼を言って上総が目を伏せたとき、携帯がようやく振動を止めた。
小さく溜め息をついて、上総はシートベルトを外した。
「じゃ、僕もう行くね・・・」
「何かあったら連絡して」
「うん・・・」
高居の車が見えなくなるまで見送って 上総は家の中へ入っていった。



大学へ行っている間も、バイト中も、数時間おきに携帯は振動した。
そのたびに 上総は液晶に表示された名前だけを確認して、静かになってくれるまでやり過ごしていた。
それを何度も何度も、何度も繰り返して・・・・・・長い1日がようやく終わろうとしていた。

一人きりの部屋。
ベッドの上で膝を抱えて、上総は携帯を眺めていた。
高居が言うように、野崎はまだ納得していないのかもしれない。
気持ちの整理がついていないのは、自分も同じ。
だからと言って、別れを告げた時のように もう一度顔を合わせて 話し合いをする勇気など無かった。

大好きな声で優しく名前を呼ばれてしまったら、今も惹かれて止まないあの姿を目の前にしてしまったら・・・。
脆く頼りない決心を貫き通せる自信なんて無い。
幸せを願って別れることを選んだはずなのに、溢れ出す思いのまま あの胸の中へ飛び込んでしまいそうな気がした。
そんな事になってしまうくらいならただ静かに、
時間の流れと共に自分の存在を記憶の中から消し去ってくれる日を待っているしか・・・。

「ぁ・・・」
また、携帯が振動した。
「聡示さん・・・」
今日何度目かに見るその名前にハッとして、そして少し ほっとする。
もう忘れなければいけないと思いながらも、こうやって連絡が来るのを 心のどこかで待っている自分がいた。

少なくとも 電話を掛けている間は 自分の事を考えていてくれる。
この時間だけは 二人はまだ、繋がっている。
もう二度と取らないと決めている人からの電話が掛かってくる度に、ブルブルと振動を繰り返す携帯を感じながら、そんな自分勝手な思いに満足していた。
まだ好きでいて欲しい───、心の中ではそう思っているから。
自分と同じように心を痛めながら、離れ難いと思ってくれていることを期待してしまっているから。
繰り返し掛けられてくる電話の回数に比例するように、二人の関係は確かに特別なものだったと、実感したかった。

上総の目から、ぽろぽろと涙が流れ始めた。

「聡示、さん・・・」
いつかこの電話が本当に掛かって来なくなったら、その時はどうしたらいい?
もう二度と掛かって来なくなった時、その時自分は本当に、あの人の事を忘れられているだろうか。
少しの繋がりも感じられずに、そんな毎日を送っていけるだろうか・・・。

そんな思いに耽っているうちに、野崎の存在を知らせていた携帯の振動が ぴたりと止んだ。
静かに流れていた涙の筋がみるみるうちに大きくなって、膝の上にできた水溜りが溢れてベッドの上に流れ落ちた。
「ごめん、なさい・・・」
どうやっても忘れられそうにない。
こんなんじゃ いつまで経っても、幸せにしてやれる日は やって来ない・・・。

黙り込んだ携帯を握り締めて、上総は 夜明けと共に眠りについた。





野崎も一人、眠れない夜を過ごしていた。

何度 電話を掛けてみても、思っていたとおり上総は一度も出なかった。
口も心も堅くを閉ざしたまま背を向けて、だんまりを続けている。

けれど、そんな頑なな上総の態度が、かえって野崎の決意を強くさせた。
まだその気持ちが自分の方へ向いているのを悟らせまいと、必死に隠そうとしているように思えてならない。

高居は確実に上総に思いを寄せている。
上総が別れを言い出した事にも何か絡んでいると予想はできても、何をどうやったら上総の心がそこまで動くのか、まるで検討がつかない。
何があったのか上総の口から全て話してくれることが一番望ましいが、肝心の上総は・・・。

野崎は昨日の上総の行動記録を手にした。

マンションを出て直ぐに、上総は高居と会っていた。
公園で泣き濡れる姿が撮られている。
おそらく、別れ話をして落ち込んでいる上総を高居が慰めて、その成り行きで抱きしめられてしまったところまでは、何とか我慢もできた。
・・・しかし。
あろうことか そのまま高居の部屋まで連れ込まれて、二人で朝を迎えている。
高居に家まで送り届けられた時刻を見れば、今朝、まだ早いかと思いながらも僅かな望みを掛けて電話をした時は、上総は高居の車の中だった。

何もかも、高居の思惑どおりに事が進んでいるように思えてならない。
自分と上総との距離が遠くなるほどに、高居と上総の距離が縮まっていく。

野崎はきつく目を閉じた。
二人きりの空間。
7年分もの思いが遂げられると感じた時、高居が上総に手を出す事は十分考えられる。
泣き続ける上総をただ見守るだけで終わったならいいが・・・。

ただ、上総の性格を考えれば、成り行きだけで気持ちが伴わないまま事に及ぶのは、難しい。
ごく普通に送り届けられた様子を見れば、特に何かがあったとも思えなかった。

「早く・・・ 電話に出るんだ、上総・・・」
焦る気持ちに突き上げられて、野崎は今日何度目かの電話を掛けていた。

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