天の川のむこう-36-

翌日。
約束の時間、上総が指定した講堂の前には高居が既に待っていた。

「カズ」
手を上げた高居に笑顔を返して、上総は小走りで駆け寄った。
「やっぱり・・・お兄ちゃんならもう着いてるって思ってた」
あの火事の日以外、高居は上総との約束を違えた事は一度も無い。
待ち合わせをして先に待っているのはいつも高居だった。
「カズを待たせたらいけないから」
相変わらず優しい笑顔で言いながら、高居は上総をベンチに促した。

「カズ、昨夜あれから大丈夫だった?心配だったんだ。ちゃんと寝れた?」
上総の肩に手を置いて、高居は気遣わしげに聞いてくる。
「うん・・・。お兄ちゃんと話をしたら、だいぶ元気になったから。ありがとう」
さっと笑顔を作って答えて、上総は足元に目を落とした。
正直に言えば、高居との電話を終えた後もなかなか寝付けずに、ずっと野崎の事を考えていた。
どうして高居をまだ疑っているのか、自分の行動にまで制限をさせるような事を言うのか、悶々と考え込んでいた。

それに・・・
絶対に違うと思っているのに、 『大金持ちに囲われている愛人』 という言葉が頭にこびり付いて離れなかった。
野崎との間にずっと感じていた自分との様々なギャップは、いつも以上に大きく高い壁となって、上総の上に圧し掛かっていた。
そして高居が言った 『本当の野崎・・・』
言い渋っていた様子を考えると、あまり良い情報でないことは分かった。

今の自分に、これ以上の問題を受け止めることができるのかどうか、不安で仕方なかった。

「カズ・・・寝れなかったんだね」
苦笑しながら言った高居に、上総はハッと向き直った。
「僕はカズの事なら何でも分かるって、言ったよね?」
「お兄ちゃん・・・」
目を細めて消えそうな微笑を湛える高居の顔を上総はじっと見つめ返した。
「僕がいるから、大丈夫だよ。もうカズは一人じゃないからね」
高居の穏やかな声音は、言えずにいた上総の心の不安に寄り添うように心地よく響いた。
「ありがとう・・・」
でも今は・・・お兄ちゃんがいてくれるから大丈夫・・・。
お兄ちゃんはいつでも味方でいてくれる・・・。
上総は心からの笑顔で高居に答えた。

「それで・・・話してたことなんだけど」
パッと苦しそうな表情になると、高居はバッグの中から1冊の週刊誌を取り出した。
「カズは傷つくかもしれないって思ったけど・・・。それがカズの為になるなら、そうしてあげたいと思ったから」
言いながら、高居は上総の手に自分の手を重ねた。
「どんなことがあっても、僕はカズの味方だから。僕が一緒にいてあげるから」
「お兄ちゃん・・・」
「僕とカズは、何でも半分こできるからね。カズが辛い時も半分ずつだよ」
その労わりに満ちた高居の言葉と表情に、上総は胸がいっぱいになった。
自分の為にこんなにも心を砕いて、理解して支えてくれる高居が、本当の肉親のように思えてならなかった。
「お兄ちゃん・・・僕の為にありがとう・・・。僕、お兄ちゃんが居てくれて本当に良かった・・・」
上総は載せられていた高居の手を握り返した。
「良いんだよ。カズの為なら、何だってしてあげたいんだ」
高居はサッと上総の髪を撫でながら言った。

「これ、野崎さんの記事なんだ。昨日出た週刊誌なんだけど・・・」
声を潜めるように言いながら、高居は折込みを入れていたページを開いた。
「あ、これ・・・」
時田の一件の記事だった。
損害を被った家族のインタビューや企業間での不正な取引の全容が、好奇の目を引くような見出しを連ねて一面に踊っていた。
「でも・・・これ知ってるよ?うちも、そうだったから・・・」
結局は被害を免れたけれど、一歩間違えば自分がその記事の人だったかもしれない。
それに野崎はまだこの一件のせいで、慌しく飛び回っている。
別に、今更聞かされて驚くような記事じゃない・・・

「ここ、見て」
上総は高居がそっと指差した先を見た。
事件の内容が一通り記載されたあと、話題は野崎自身へ移っていた。
【超二枚目 ヤリ手 専務、その素顔】
記者会見の際の野崎の写真と一緒に載せられていたのは・・・
「これっ・・・!」
過去に交際していた女性、それも複数の証言記事だった。
【お互い割り切った付き合いでした。後腐れもありませんし、私自身も十分 楽しみましたからね】
【彼、収入も良いでしょう?色んなもの買ってくれたんです。ネックレスとか、指輪とか。
 今では良い思い出です】
【とにかくルックスが良くて、あの顔で甘い言葉を囁かれると、もうたまらないって感じです。
 惜しいことしたな~】
【彼との関係はとっても刺激的でした。でも彼は、絶対に本気にはなってくれないんですよね。
 そこも惹かれますけど】
なに、これ・・・・・・?
軽いノリで野崎との関係を暴露している言葉を追いかけながら、上総はズキズキと尖ったもので胸を突き刺されるような痛みを感じた。

こんなの・・・信じたくない。
決して信じたくはないけれど・・・・・・。
嘘の内容が、こんな大きな記事になるとも思えない・・・・・・。

「野崎さんて・・・大人だし、お金持ちだから、こういうこと よくするのかもしれないけど・・・」
記事を半分ほど読んだところで、高居が上総の手から雑誌を取った。
「こういう人達のことは、僕には正直良く分からない・・・。でも野崎さんのいる世界って、こういう所なんだよ」
高居はじっと上総の顔を覗き込んでくる。
自分だって分からない。
まるでゲーム感覚のように恋愛を楽しむなんて、そんなこと考えた事も無い。
「でもっ・・・・・・でも、もしそうだった・・・としても、もう前の事だよっ・・・・・・」
仮にもしそういう事実があったとしても、それはもう過去の問題で、今は・・・・・・。
「そうかな?」
「えっ・・・?」
上総が顔を上げると、高居の静かな眼差しにぶつかった。
「どうして野崎さんがこういう事するんだと思う?」
「どうしてって・・・・・・分かんない、よ・・・」
まだこの事実を信じたくもないのに、どうしてそんなことが出来るかなんて分かるはずがない。
「野崎さんって、専務だよね?」
「うん」
「将来・・・結婚するよね?」
「えっ・・・」

『結婚』 、その言葉にハッとして、思わず大きな声を出してしまった。

「野崎さんって、会社の会長の親戚筋の人らしいんだ」
「ぇっ?」
「もしかして・・・・・・野崎さん教えてくれてなかったの?」

知らなかった・・・・・・。
そんな事、一言も・・・・・・。

「会社の重役で仕事もできるんだから、将来有望だよね。会社の為にそれに見合った結婚をして、順風満帆な人生を送るに決まってるよ」

聡示さんは・・・いつか・・・結婚しなくちゃいけないんだ・・・

野崎が本当に会社の会長の縁故なら・・・。
この先ずっと出世を続けて、自らも会長の座に就く立場にあるのかもしれない。
それなら、あの若さで実力を伴いながら専務という重い役に就いていることも納得できる。

だとしたら・・・
野崎の結婚は本人だけの問題では無くなって、当然このままずっと一人身で居る事は考えにくい・・・・・・。

「そういう結婚をするんだったら、自分の思い通りの相手を選べるとは限らないからね。政略結婚とか・・・分かるよね?」
上総は目線だけで返事をして、呆然と高居の顔を見つめていた。
「だったら、今のうちに、自分が思うままに遊んでおこうって、思ってるんじゃないかな・・・。」

胸が詰まって、息がうまくできなくて、苦しくて。
相槌も何も、上総は高居の言葉に一切反応できなかった。
ただ黙って、高居の言葉が耳から入って脳に伝わるのを感じているだけだった。

「もし一人身を続けるにしても、結婚を考えるような相手じゃないと、世の中に公表できないよね。出世するのに傷が付くようなことできないはずだよ」
傷が付く・・・・・・?
「この人も言ってる。 『決して本気にはなってくれなかった』 って」
本気には、なってくれていない・・・・・・?
「野崎さん・・・いつか結婚する前に、年下の男の子と楽しんだ思い出が欲しいだけなのかも・・・」
「でもっ・・・!」
上総は高居の腕にしがみ付いて、悲鳴のような声を小さく上げた。

『愛してる』 って、言ってくれた。
『いつも想ってるから、信じて欲しい』 って、言ってくれた・・・。

「この記事読んだでしょう?指輪を贈ったり、優しい言葉を掛けたり・・・。そういうのって、野崎さんにとっては別に特別な意味は持ってないんだから」
「でも・・・」

でも・・・
でも・・・
もうこんなに好きなのに・・・・・・。
いつか聡示さんは、別の人のものに、なってしまうの・・・・・・?

「じゃぁ、どうして僕と出掛けることも許してくれないんだろう?」
「それは・・・」
「自分はこういう付き合い方をしておいて、カズの自由は認めないなんて。やっぱり愛人みたいな扱いしてる。まるで自分の持ち物みたいに」
「僕は愛人じゃ・・・」

『上総は僕のもの』 って・・・そういう意味・・・?

ぐったりとうな垂れてしまった上総を見て、高居は慌てて上総の肩に手を置いた。
「ごめん、カズ辛いよね・・・。でも・・・カズはまだ迷ってたから、ちゃんと事実を知った方がいいと思ったんだ」
「僕が、迷ってる?」
「カズは野崎さんの事をまだちゃんと知らなかったから、野崎さんを信じる事が出来なかったんでしょう?」
「信じる・・・?」
「 『言う事を聞いていれば良い』 って言った野崎さんの言葉を黙って聞いていられるほど、野崎さんの事を信じていた訳じゃないってことだよ」
信じてなかったから・・・?
「そう、なの・・・?」
「野崎さんとカズは余りにも住む世界が違うからね。全てを分かり合う事は・・・難しいと思うんだ」

野崎と上総の間にそびえ立っている壁が・・・また一段と高くなった。

「急がなくていいよ。でも迷ってるうちに、ちゃんと考えた方がいい」
「お兄ちゃん・・・」
「カズの気持ちが整理できるまで、僕が一緒に手伝ってあげるから」
「整理・・・?」
「どうやったらカズが幸せになれるか、一緒に考えよう」
「お兄ちゃん・・・ありがとう・・・」
高居が側で見守っていてくれることが、今の上総には何より心強かった。
誰にも言えない関係を認めてくれた上に、これからの二人の事も一緒に考えてくれている。

「でも、野崎さんに怒られちゃうからね。今日みたいに僕がここへ来るから、二人で話しをしよう」
野崎に疎まれている事を知っていて、それでもこうして自分の為に、二人の為に時間を割いてくれている。
「心配掛けるといけないから、野崎さんにはナイショにしておいて。二人でこっそり頑張ろう」
労うように言いながら、高居は上総の頭にぽんと手を載せた。
「うん・・・お兄ちゃん、ありがとう・・・」
もう今の上総が頼りにできるのは、高居の他には居なかった。

そうやって、上総の思考は高居の思惑の中で少しずつ成型されようとしていた。

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