星空に触れて-9-

「そうなんですかぁ。それで正義の味方、スーパーマンなんですね」
上総が意を解したように言ってハンチングさんに向き直ると、『そうそう』といってまたコーヒーを一口啜った。


 黒田にも話してはいないが、上総は窓際のその人と一度だけ会話をしたことがあった。

その人はいつもコナ・コーヒーを飲んでいて、座るのは決まって左の窓際だった。

三十代半ばくらいの年齢で、黒田よりも少し上背のある整った体躯をしていた。
凛々しい目元が印象的で、目が隠れそうな前髪を時折かき上げる姿を覚えていた。
いつもスーツを着ているけれど、なぜかネクタイをしていない。

ある日。
いつものように席に着いたところで、いつものコナの注文を取りに行ったのだが、
上総の予想とは裏腹に、その日はアイスコーヒーを注文されたのだった。
頭の中で勝手に『コナ』を繰り返していた上総は、つい、言葉が出てしまった。

『めずらしいですね、アイスコーヒー・・・』
言ってしまった後でハッと我に返って、とても気恥ずかしい思いで顔から湯気が出てしまいそうになった。
こちらが勝手に考えていた事を、また勝手に暴露してしまったようで、どうにもいたたまれなくて。

上総が所在ない思いでいると、その人からとても優しい声が聞こえた。

『そうだね、ちょっと喉が渇いて』
その人は少しだけ微笑んで上総の顔を見上げると、やわらかく視線を捉えた。

『マキムラ君、だよね?』
背もたれにゆっくりと体を倒しながら、首を傾げて聞き返してきた。

『あの、ど、どうして・・・?』
知っているんですか?までは続けられず、上総も首を傾げて聞き返した。
前にどこかで会っているのか、それにしても覚えが無い。
この人なら、会っていれば忘れない気がする。

上総を見ていた目は窓から差し込む光に細められて、一段と優しい表情になる。
どこから見ても大人の雰囲気を持ったその人から、なぜか一瞬だけ悪戯っ子のような顔が見えた気がして、
ドキリとしてしまった。

『あぁ、そう呼ばれているのを、聞いたから』
そういうと、その人はカウンターのほうを見た。
カウンターでは黒田が客のためのコーヒーを挽いていて、ハンチングさんが例のごとく定位置についていた。

『あ、そうだったんですか。どこかでお会いしたのかと思って。すみません』
上総は少しホッとして、作り物でない笑顔を返した。
『びっくりしました』と続けて、照れ隠しに頭を掻いてしまう。
『そんなふうに、笑うんだね』
そう言うとその人はじっと上総の顔を見つめて、
『下の名前は、なんて言うの?』
と聞いてくる。

『えっと・・・』

この店では客同士、相手の詮索はしないという暗黙のルールがある。
いつもなら、この手の会話は遠慮してもらうのだが、その人の眼差しを見ていると、
つい引き込まれたように言葉がぽろりと出てしまった。

『カズサです。漢字は、上総の国の上総、です。マキムラは、槙村───』
そう言いながら、テーブルの上に人差し指で名前を書いてみせた。

『上総、かぁ。かっこいいな』
その人も上総に倣って同じように『槙村上総』と書き始める。

『─── 合ってる?』
書き終わるとまた上総を見上げて、今度ははっきりと、子供のような笑顔を見せた。

低くて、けれど優しい声は、まるで面白い悪戯を思いついたかのような声色をしていて、
新しいその人の一面を見せられて、またドキリとさせられてしまう。

さっきよりも速さを増し始めた鼓動を落ち着けるように、上総は両手をギュっと結んだ。
つい見とれてしまっている目線を、なんとか逸らす。

『え、えっと、あっ合ってます。あのっ・・・アイスコーヒーですね。暫くお待ちください』
何とか頑張ってそこまで言って、高鳴ってしまっている鼓動に負けないように一礼をすると、早足でカウンターへ戻ったのだった。

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